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【 ICANOF アーカイヴ 】
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青山真治インタヴュウ「なぜ映らないものは、映らないのか?」
Ceaseless and Latent Duration (duree) of Film Projection
青山真治 AOYAMA, Shinji(Cineaste)

聞き手 大川久美子(ICANOF)

(3) ノックとバックミラーのコール・アンド・レスポンス
青山 で、「どうやるか」って言った時に、例えば『シェイディー・グローヴ』の最後のところを思い出していただきたいんですけど、二人が手を結び合った後、あの詩を朗読するのはクレジットの中なんですね。だから声だけが聞こえてるわけです。字は出てるんだけど、基本的には黒画面というか、真っ暗な中に文字だけが出てる。で、さらにピチカート・ファイブの『ウィークエンド』という曲がかかるんですけど、そこにともあれ、二人の声がかかる。つまり、声というものが暗闇に響くことで、そのことを表現しようとするというか、それがかろうじてそういう形で出てくる。そういうことを『ユリイカ』では、あの“コンコン”というノックでやろうとしてたんですね。つまり暗闇の中で、どこにいるかわからない誰かが“コンコン”と壁を叩いてくる。それに“コンコン”と叩き返す、というようなやりとり。音として自分が入って来る。見つめ合うということの代わりに、音としてそれがあること。見つめ合わなくてもいい、という。相手が何か言ってくる。自分もそれに返す。そのコール・アンド・レスポンスの中にそれができないか、と。もうそうなってくると“信頼”とかいう言葉も消えますよね。ただもうひたすら、必要とするから“コンコン”と言う。向こうも“コンコン”と返してくる。必要としてるから“コンコン”とノックするんだ、と。必要という、“信頼”というよりもむしろ“必要”という関係みたいなところまで突き詰められないかな、と。「そこまで突き詰めたところまで行けないかな」というのが、あの『ユリイカ』のノックなんですよね。
大川 本当にあのシーンは「なぜそういう気持ちが分かってしまうんだろう?」というか、「なぜああいう脚本が書けるんだろう」って、もう不思議なくらいに自分の心に響きました。まさに「その気持ちを分かって欲しかった」って。それと同時に“叩いたら誰かが応えてくれる”って、そんな素晴らしいことはないということも。それがもう本当に実感としてあって、見終わった後ずっとあの“コンコン”というノックの音が忘れられませんでした。そういった脚本を書かれるきっかけというのは、やはり“関係性”ということなんでしょうか。
青山 そうですね。ただ、その?役所広司演ずるところの沢井がしてることの根本的なあり方って“受け身であること”なんですよね。これが沢井の一番決定的にダメなところでもあり、それでも“それしかない”というような捉え方しかできないところなんですけど。沢井は基本的には「自分がノックしたら誰かが返してくれるだろうか」とは思わない。逆に、「もし誰かが“自分がノックしたら誰かが返してくれるだろうか”と思った時には、出来るだけ返してあげたい」と思う人。でもそこに立っている沢井は、「自分が子供たちに助けられている」というふうにも思えているわけなんです。つまり沢井は、“誰かに必要とされることによってしか、自分というものはあり得ない”と思っているわけなんです。で、誰かに必要とされることを待っているわけですね。受け身として待っているわけです。しかし、それはごくごく身近な、例えば自分が選んで入っていったあの家の、あの兄妹のそば。あの兄妹に対してしかそのような場所はない。けれども、でもその場でできること、その場で、向こうが“コンコン”とノックをしてきたら“コンコン”と返してあげられるようにいつもいること。通常できないわけなんです。他人である以上、多分そういうことはあり得ないわけなんです。でも彼は、そうした。だから、“それでもそうした”みたいなことが何か重要なのかな、と。受け身であるということは弱点なんだけど、でもそれしかないわけで。「誰かがノックしてきたら返してあげよう」という心構えをみんなが持っていれば、誰かがくじけてノックをしてしまっても誰かが返せる。そういう心構えみたいなことの問題なんですかね、心がけというか。何かそのことを突き詰めているうちに、そこへ至った感じがあるんですよね。
大川 それまでの『Helpless』から始まって『冷たい血』へと続く監督の一連の映画と、明らかに『シェイディー・グローブ』という映画は違っている部分があると思いますが、特に監督が先程おっしゃっていた映画が絶対に持ってしまう不条理というか、キャメラや位置関係という制度的にはずすことのできない問題にかかわることだと思うんですが、『シェイディー・グローブ』という映画の中で、偶然の電話で繋がった二人が初めて直接出会って車に乗るシーンは、監督がおっしゃっていた映画の制約を超えているという感じをすごく受けました。気分が悪くなった女の子が後部座席に横になって、運転席からそれをミラー越しに見る男の子がいて、それを盗み見る女の子がいて。あのシーンがすごくゾっとしたというか、とても好きなシーンなんです。あそこで、バックミラーごしに女の子の様子を見ている男の子と、後部座席で横になりながらバックミラーに映っている運転席の男の子を盗み見ている女の子。そこで何か二人は直接的ではないけれども、心で見つめ合っているという感覚をものすごく感じたんです。同じ空間にいて、お互いに相手を意識しながらも向き合うのではなく同じ方向を向いたまま無言で街を抜けていく。そのシーンが本当にスゴイなって。あの感覚がどんどん深まっていって、だんだん向かい合っていくというところから、また『ユリイカ』でさらにもっと踏み込んでいるのかなっていう気がするんですけれども、そこからまたさらに進んで『月の砂漠』という映画に行かれているんだとしたら、一体どういう映画になっているのかとても私などには予測もつかない感じなんですけれども。

(4) 暴力という根源的な関係の噴出
青山 そうですね。だから基本的には僕、あまり変わってないんです。『Helpless』とかその辺の作品にしても、『シェイディー・グローブ』以降にしても、要はそのやり方を変えただけで、関係の作られ方みたいなものはそんなに変わってないんですよ。つまり、最も分かり易い例で言うと『Helpless』と『冷たい血』なんですけど、あれは本当に暴力というものが、そういう関係として捉えようとしたものなんですね。で、僕はそれを切り返しではなく、構図から構図のカットバックではなく、ワンカットの中で殴るとか蹴るとか、あるいは拳銃を撃つとか、そういったことで関係というか接触みたいなものを描こうとしているんですね。人が人を殴ったり殴られたりする関係というのは、ある種非常に決定的な関係なわけなんですよ。逆に、現実に例えば今こうして話しているように、触れずに目で見合うとかそういったような関係よりも、より強力な関係なわけですよね。即物的で激しい関係。ただ、人と人がどういう意味合いであれ、繋がるということには変わりはない。ある時こいつがこいつを殴ったから、この二人の間に関係が生まれるのだ、っていうこと。あるいはもう“関係を断つために、この人とこの人は殴り合ったんだ”とか、あるいは“この人はこの人を殺したんだ”とか。逆に“この人がこの人を殺したことによって、この二人の関係は始まったのだ”とかっていうようなところまで行くんじゃないか、と。それがそれまでのやり方だったんですね。で、それをもっと違うやり方でやり始めたのが、やっぱり『シェイディー・グローブ』以降の作品だ、ということは言えると思いますね。やはり暴力という関係は、どこか否定的な側面ばかりになってしまい、そうした本質をなかなか見いだしてもらえなかったんです。でも結局、僕としては、やっていることは何ら変わらないという気はしています。
大川 今、暴力というお話が出たんですけれども、実は監督にぜひ伺ってみたいと思っていたことがあるんです。以前に雑誌の対談か何かに、監督は北九州のご出身でいらっしゃるということで「暴力が非常に身近にあって、“暴力はいけません”ということは後天的に、かなり遅くなってから獲得した」というようなことをおっしゃっていましたが、たまたま偶然といいますか成るようにして成ったのかも知れませんけれども、少し前から九州地区で集中して暴力事件や殺人事件が起きているという気がしていまして、バスジャック事件とか少年がバットで一家を撲殺した事件とか。実は『ユリイカ』という映画を見る前から、私の中でそのことがとても気になっていたんです。何か九州という場所が持っている磁場というか、暴力が瞬時に出てしまうというか表出してしまう土地柄というか、そこには何か必然性があるのでは?という気がしてしかたがなかったんですが。
青山 うーん、僕自身はあれらの事件が起こっても、別に何の不思議もないとしか思ってないですね。まぁ、それは九州に限らず日本人というか「人間であれば、だいたいそうなるに決まってる」っていう風に思ってるところがあるんですよ、どこかで(笑)。で、それは今言ったような、根源的な関係には必ずそういうものがつきまとう。つまり暴力的なものというのは、非常に“根源的な関係である”ということが、それらの事件で証明されているんじゃないだろうか、ということがあるんです。それを何か今までの日本の社会は「隠す」ことで、逆に社会の安定を保ってきたんだと思うんですね。そして、暴力行為というものを、そういう安定の良さというか、安定がもたらす幸福みたいなものによって隠してきたようなところがあると思うんですよ。特に1972年以降ですね。72年というのは“連合赤軍事件”の年なんですけど、それ以降本当にずっとそれが隠されてきたような気がする。でも、いよいよそういうことを言っても無理が生じてき始めたのが、そこから23年後の地下鉄サリン事件。恐らく92年あたりの、丁度あの事件から20年たったあたりで、そのことから生じたズレの爆発みたいなものがあったんだと思うんです。つまりそこに目をつぶって生きていける程、人間は倫理的な動物じゃないということだと思うんですよね。しかし、それに目を閉ざしてこの20年間やってきた、と。そしてそれなりの成果も得た、と。でもその成果によって、逆に滅ぼされるような所もあるわけです。つまり、最終的にその成果はバブル経済というものに昇華していくんだけれども、それが崩壊した時点で、というか正にその渦中で、倫理はぶち壊れてしまう。そしてそこから先にそういった、暴力という根源的な関係みたいなものを求めるような、裏返しの関係がくっきりと出てくる。社会の動き的に言うと、そういうことなのかな、と思うんですよね。それがね、結局九州の人間は血の気が多いんだな、きっと(笑)。それがやっぱり、率先してそういうことが起こっちゃう場になっていくんだと思うんですよね。地下鉄サリンのように大きなことではなく、こまごまとした非常に日常的な小爆発みたいなものとして。それはもうずっと前から、それよりも随分前、80年代の僕が高校生ぐらいの頃からそういう側面が出てたんだと思いますね。

(5) この人が自分を見ているから自分がいるのであって、この人を殺してしまったら自分も殺されたに等しい
大川 95年というのは、地下鉄サリン事件とか阪神大震災が起きたりとか、すごく重要な年だったと思うんですが、あの時期に育った子供たちは明らかに何かが違う気がしますし、『ユリイカ』の中でもお兄さんの直樹くんの口から「人を殺して何が悪いんだ」っていう問いが率直に出てしまうように、その倫理観というか、問われても何が悪いのかということを明確に応えられないところが今の日本にはあると思うんです。あの95年に起きた様々な事件や出来事、そしてそれを報じる映像がどれ程の影響をもたらしたのかは分かりませんが、やはりニュース映像やドラマなどで非常に残虐な情景や描写を日常の中で当たり前のように目にすることで、感覚が麻痺してしまった今の子たちにそういう問いをされた時に、やっぱり即座に答えられない、自分自身の問題としても明確な答えが出てこないということがあるんですが、監督自身はそこに対する答えを何かお持ちだったりはするんですか?
青山 多分僕は“それにどう答えるか”ということを色々考えた結果、“言葉では答えられない”という結論を出し、代わりに『シェイディー・グローヴ』を撮ったようなところがあるんですね。つまり、なぜ人を殺してはいけないのかというと、“この人が自分を見ているから自分がいるんだけど、この人を殺してしまったら自分もいなくなるからだ”っていう。言葉で言えばそういうことなんですけど、それを映画の中で映像として見せることでしか、そういう人と人との繋がりというものは映像によってしか表現できないんですよ、多分。僕自身、言葉では全然そのことは納得できないんだけど、映画を見てる限り納得する、っていうことがあるんですよね。多分そんなことかな、と。だから僕は、“映画は言葉にはできないことをやるものだ”という風に信じてるところがあって、“だから映画をやっている”みたいなところがあるんですけれどもね。
大川 『ユリイカ』を撮っていらっしゃった間、本当の兄弟でもある宮崎あおいさんと将くんの二人は、まさに同年代の兄弟の役柄を演じていたわけですけれども、彼らの中での意識の変化というのはあったんでしょうか?
青山 どうなんでしょうね。実は僕、全然彼らと話しをしていないというか、彼らが何を考えているのか全然知らないまま、シナリオだけ渡して彼らの解釈がそこにある、という形でやっていたんです。だからあんまりそこで何も話し合ったこともなければ、こっちからそんなに指示を出したこともなくて、いまだにあの人たちは「監督と何か話した記憶があまりない」って言うし(笑)。終わってからの方が、ずっといっぱいしゃべってるんじゃないかな。
大川 十代の半ばであの映画に参加したということは、人生観が変わるぐらいの大きな出来事かなって思うんですけれども。
青山 そう言えば何か、「4回ぐらい見てやっと分かった」って言ってたような気がするなあ(笑)。「ああ、そんなに見たのか」っていう感じで。それまで全然分からなかったって。
大川 でもきっと5年後とか10年後とか、どんどん年を経るごとに、映画に対する理解や意識がどんどん変わっていくような気がしますね。
青山 どうなんでしょう。よく分からないですけどね、彼らがどう思っているのか。ただ“あの時ああいうことがあって、あの人たちはああしたんだ”っていうことが残ってるなら、まぁそれでいいのかなっていうふうには思ってるんです。全然頭の中では理解できなくても、“そういうことがあった”っていう記憶だけがあるっていう。それを忘れなければいいのかなって思うんです。
大川 ちょっとお話は変わりますが、一番最初に監督が映画を撮ろうと思われたきっかけは何だったんですか?
青山 子供の頃から劇場とかテレビで映画を見ていて、そんなに熱心に見ていたわけでもないんですが、ある時「何でこういうことができるのだろうか?」っていうふうに思っちゃったんです。「映画っていうのは、どうやって作るものなんだろうか」ということが、突然疑問に思えたんですね。「どうやったら、こうなるの?」っていうことを考え始めちゃって。で、その考えを、その問いをずっとひきずっているうちにここまで来ちゃった、っていうところがあるんですよ。だから「俺は映画監督になりたいんだ。俺は映画を作りたいんだ」ってあんまり思ったことはなくて、「何で映画というものが作れるんだ?」っていう問いをずっと持ち続けてきただけなんです。で、まぁ「それをやるには映画を作ったほうが分かるのかもしれない。じゃあ、試しに作ってみようか」っていうことで作り始めた。で、「でもあの映画のようにはならなかったな。また別なことが起こってしまったな」って。例えば何でもいいんですけど、今なら何がいいんですかね、『羊たちの沈黙』でもいいや。「『羊たちの沈黙』のようなことを画面上でやるにはどうしたらいいんだろう?」って思ってやるんだけど、どうしてもうまくいかない。同じようにはいかない。それはそうなんですよね。アンソニー・ホプキンスもいなきゃジョディー・フォスターもいないわけですから、そうはならないわけです。「でもどうにかして、何とか近づけられないものか」って思ってやってみると、あれとは全然違うものだけど、また別なものができてしまった。でも「これはこれでありか」というようなことを延々と続けている、みたいな。それが結局、自分が映画を作っている最大かつ唯一の理由みたいなところではあるんですけれどもね。
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(図録 "ICANOF Media Art Show 2001" より転載)



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