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青山真治インタヴュウ「なぜ映らないものは、映らないのか?」
Ceaseless and Latent Duration (duree) of Film Projection
青山真治 AOYAMA, Shinji(Cineaste)

聞き手 大川久美子(ICANOF)

(6) 視覚と聴覚の交点に、触覚が移入してくる
大川 監督が追い求めている形というか、テーマとかとはまた別なところにある何かが監督の中にはおありなんですか?
青山 まぁ、それはそのつどそのつど違うんですけど、今はずっと、“なぜ映らないものは映らないのか”ということを考えてるんですね(笑い)。 つまり、「自分はとある一本の映画を見て、こんなことを感じた。しかしそんなものは画面に一個も映っていなかったじゃないか」と。確かにその通り。で、「映らないものは映らないのか、本当に」っていう。じゃあ「何で映らないのにそう思ったんだ?」ということですね。映ってないのは確かなのに、なぜ映っていないものを感じているのか。じゃあ“その映ってないものはどうやったら映るのか”というところまで考えたい。「映らないものは映らないんだから」と言われても、何か納得できないところにいる、みたいな感じですかね。
大川 監督は音楽もおやりになっていらっしゃいますが、音楽というところでまた新たな次元が加わるというか、音というものに対して普通の監督以上により敏感に考えていらっしゃるのではないかと思うのですが、音も有る意味では目に見えないものですよね。それを扱うことによって、映画の中での音の持つ意味が何か変わっていくのでしょうか。
青山 基本的に僕の映画は音と映像で出来てるというか、まぁ全部の映画がそうなんですけど、例えば「音を重視するために画面を消しちゃってもいい。真っ暗闇の中で音が鳴ってる。これが俺の映画だ」という人もいるんだけど、俺はそうはしない。やはり画面があって、なおかつ音も画面と同じぐらいの重要度をもって、このひとつの題材を語っている。同じレールを走ってたり別のレールを走ってることもあるんだけど、それが様々行ったり来たりしながら、離れたり近づいたり、まったくピッタリ一致したり、ということを繰り返して、“その行程そのもの、その時間的な持続そのものが映画なんだ”というところに、今はたどり着いてるんですね。で、その時間的持続、音と映像の離れたり近づいたりっていう時間的な持続の中に、先程言った“目に見えないものが、観客の側に現れる”のかしら、と。だから画面に映ってるものだけで物語を構築しないっていうことなんですね、要は。あらゆる五感を使って、映画なんで味とか匂いとかというのはしないので、最終的に聴覚と視覚だけなんですけれども、でもそこにはそれらとは別の、触覚みたいなもの、手触りみたいなものが、実際には触れてもいないのに触れたかのように錯覚していくことも含めて、“目が触れる”と言いますか、感情移入というものとはちょっと違う、“感覚移入”みたいなものなんですかね、うん。そういうところまで含めて、何かこう、インビジブル[目に見えないもの]を、ビジブル[目に見えるもの]にするという段階を、映画という機械の可能性みたいなものにチャレンジして、表現しようとしているようなところがあるんですけどね。映画という機械にどこまでそういうことができるか、という。
大川 『ユリイカ』の後半、ジム・オルークの曲がバスの中で流れるシーンがありましたが、本当にこれは私の個人的な感覚なんですが、あの瞬間に自分の細胞が拡散していくような、ものすごく不思議な感覚に陥ったんです。それを上手く言葉では言えないんですけれども、「ああ、そういうものなんだよな」っていう感じと言いますか。バスの音と振動、揺れ。そこでラジカセのスイッチを押したら色んな音にまぎれて曲が流れてきた。ただそれだけのことなんですけれども、そこに“音が流れている空気”と言いますか、丁度道をカーブする辺りだったと思うんですが、そのカーブする感じとか、とにかく色んなものが相まって何かとても不思議な感覚を味わったんです。本当にうまく言葉では言えないんですが、そこがとても大事な、何かがシフトする瞬間というか、もちろん映画的にもそのシーンの前と後では大きく変化していく大事なところだとは思うんですが、感覚的にも何かが変わっていった瞬間のような気がするんです。それは私だけの感覚でしょうか。
青山 あそこで初めてというか、突然そうなってしまうというよりは、あそこへ来てそういう感覚を一番ピークに到達させるために、バスの中にキャメラを持ち込んでいたわけですから、それはその通りだと思います。それまではそんなにフィットしてこなくても、あそこで初めて見てる人たちがバスに一緒に乗ってる感覚を得るというのは、全く不思議じゃないというか、まぁ計算というわけではないんですが、計算通りというふうには言いたくないんですけど、「そうなれ」ということを願いながら祈りながら撮ってた、という感じは無くはないですね。そのためには、あの秋彦という若いヤツがバスを降ろされなければならないし、その代わりに僕らが乗っちゃうわけだし。そして忘れていった秋彦のカセットから聞こえる音を聞きたいがためにあのバスに乗ってるわけだし、乗ってるからあの感覚が得られるわけだし、という様々なものの交点みたいなところにあのシーンはあるんで、そうなっちゃうんでしょうね(笑)。
大川 映画を見終わった後も、ずっとあの曲が耳について離れませんでしたし、やはり音に対してとてもデリケートな監督なんだなっていうことを、とても強く感じました。音があるということは、空気の振動というか、距離とか空間、そして時間というものを表していると思うんですが、次の映画でもやはり監督が音を作っていらっしゃるんですか?
青山 いや、今回は僕が好きな曲を4曲選んで乗せた、という感じですね。まぁちょこちょこと妙な音とかはdowserというユニットに作ってもらったりしてるんですけど、基本的には、僕が好きで、かつ作品の内容とフィットする既成の楽曲を乗せたという感じです。
大川 『ユリイカ』は、あまり事前に資料を見ずに劇場で拝見させて頂いたんですが、後で資料を読んだところ、もとはジム・オルークの曲から発想したということが書かれていたんですが。
青山 いや、あの曲は自分の発想と同時ぐらいに聞いた曲なんですよ。だから僕の発想はあれをきっかけにしたという感じではなくて、むしろ同時にあって「ああ、びっくり」という感じですかね。
大川 びっくりというのは、やはり同じようなことを伝えようとしていたということですか?
青山 うん。ジムがやってる曲の作り方と僕が映画でやろうとしていることみたいなものが、すごく似てるんですよね。それがやっぱりジムの曲を使う理由だと言えるし、今回も使ったんですけど、結局使っちゃうんですよ。同じようなことを考えてるんで、どこか運命的な感じで。まぁ運命的なものなんて僕は信じちゃいないんですけど、でもそういう感覚というのはなくはない。でもまぁ、めったにないので、こういう時はあまり疑わずに使わせてもらおう、ということで。
大川 私もこの映画を見てからジム・オルークのアルバムを買わせていただいたので、後で歌詞カードとかを読んだんですけれども、あのくしくも同じタイトルである『ユリイカ』というジム・オルークの曲の歌詞は、まさに“今、そこにはいない視点”というか、俯瞰というか別の空間にある視点から語りかけている意識が、いきなりその場所へ行ってしまうという、もしくは同時に存在しているという、何か距離や空間を超越してしまう感覚といか、そこに潜む刹那感というか、そんなものを感じたんですけれども。まさに、映画『ユリイカ』もその通りではないかと。そういう共時的な発見というのはすごい驚きですよね。すみません、ちょっと感動してしまいました。

(7) その分かりづらさが分からなければ、映画のプロにはなれない
大川 これからまたさらに、色んなテーマで映画を撮っていかれると思うんですが、次の構想というのは何かあるんですか?
青山 何をやるかは全く決めてないんですが、やるべきことは僕的には山ほどあって。やるべきことというか、作りたいと思っている映画というか、まぁ作りたいと思っているという言い方は正確じゃないんですけどね。あの、何って言えばいいんだろう、「自分で勝手に作らなければと思い込んでる映画」と言った方がいいと思うんですけれど、そういうのが山ほどあるんです。実際どれから先にやるかというのは本当にその時その時になってみないと分からないんですけど、とにかくそれを一個一個アトランダムに片付けていくことで、自分が死ぬ時には何かやってたことが見えてくるかなって、「映画っていうのは何だったんでしょうね」っていう答えが何となく分かるといいな、っていうふうに思いながら生きてるっていうことでしょうかね、うん。だから一番最初に映画を作ろうかなって考え始めた時に思ったのはやっぱり、「あ、これは一生かかるぞ」っていうことなんですよね。映画を作り始めて、映画というのは何かということを考えて、「その答えを得るには多分一生かかるな、一生ぐらいの時間は確実にかかるな。それでももしかしたら答えは出ないかもな」って思えたからこそそういうことを始めた、というところがあるんですよね。だからその時に“あと何年生きられるのか”って、まず数えちゃったりしましたからね。“あらゆる答えがある”って言ってもいいし、“答えがない”って言っても同じことだと思うんですよ。その中に入っていって、自分なりの答え、つまり“自分はこのように生きた”という答えを求めている。そういうことを思って日々生きているわけですよ。
大川 実は私も監督とそんなに違わない年齢なんですが、私なんかは“短いな”って思ってしまうんですけれども。
青山 何が? 人生ですか? はいはい、ええ、短いですね。
大川 でもその中で、目的というか“やるべきことが一杯ある”って思っていらっしゃるというのはとても羨ましいですね。
青山 いやまぁ、ただの妄想ですからね、そんなの。(笑) そんなに人に喜ばれるようなものでもなければ、うらやましがられるようなことでもなくて、ただ妄想としてこうやって言ってるだけで。僕の言うことは説得力がないと良く言われるんですけど、本当に(笑)。 でも、短いですよね。
大川 ええ、本当に。でも例えば十代の子達、映画監督になりたいなって思っているような子たちが、もし監督が伝えたいメッセージをどこかで感じ取ることができれば、きっと意識の中で何かが変わっていって、短い人生をより充実した人生にしていくことができるんじゃないかっていう気がするんです。そういう意味でも本当にたくさんの若い人たちに見ていただきたいなと思うんですが、どうしてもちょっと監督の映画は“難しい映画”って思われてしまうところもありますよね。
青山 うん。でもあえて“難しい映画”にしようとしてます。で、「難しい映画だから見ろ」というふうに、「簡単な映画なんて面白くないぞ」ということですね。「分かり易い映画なんて、どうでもいいじゃん」という。とにかくいつも「難しいからこそ見ろ」という気持ちでいます。僕はそうやって映画を見てきたし、もし“映画を作りたいんだったら”ですけどね。例えばバンタンに来る人が映画を作りたいんだったら、あえて「難しいから見ろ!」と。たまには楽しい映画を、分かりやすい映画を見てもかまわないけれども、基本的には難しい映画を見る。それと自分が分かる分かんないを勝負すべきであって。で、分かんなかったらなぜ分からなかったかを考える、というのが映画を作る人間の姿勢だと。基本的な姿勢はそういうことだと僕は思ってるので。なぜなら“映画を作ってる以上、映画についてわからないことがあってはならない”というのが基本的な条件としてあるからです。例えば何でもいいんですけど、八百屋さんは自分が売ってる野菜がキャベツなのか白菜なのか、わからないわけはないですよね。このキャベツはどこで何月に作られて、ということまで分かって売っているわけです。「だからこのキャベツはうまいんだ」とか、「今はこのキャベツはまだ時期じゃないから、あと一週間先がいい」とかっていうことまで。果物屋さんでもそうですけど「あと二週間たてばこのミカンはうまくなる」っていうような、「だからあそこから二週間後に取り寄せることにしよう」というようなことを考えながらやってるわけですよね。分かってるわけですよ、自分たちの仕事が何であるか、どうしたらどういうものが来るかっていうことが。その辺がものすごく細かい塩梅になっていけばいくほど分かりづらくなるんだけども、“その分かりづらさが分からなければ、映画のプロにはなれない”というふうに僕は思っているんです。
大川 それは色んな仕事に通じるというか、ある意味生き方に通じることでもありますね。
青山 うん。全ての仕事の基本だと思うんですよね。勉強と言ってもいいんですけど。結局、映画ってものすごく大ざっぱに解釈されてるところが結構あるんですけれども、本当はとてもデリケートだし繊細で緻密なものでしょう。そういう意味でも、やはり僕は見ている側の方には何も言わないけど、作る側の人間には色々と言っておきたいなって思うんです(笑)。
大川 そんな監督の言葉の意味をより理解してもらうためにも、映画作りを目指している人たちには難しい映画にどんどん挑んで欲しいですね。とても貴重なお話が色々伺えて、本当に嬉しく思います。ありがとうございました。
(2001.7.16)
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(図録 "ICANOF Media Art Show 2001" より転載)



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