HOME
EXHIBITION
GEIDAI
EVENT
ARCHIVE
PUBLICATION BBS
LINK













                                                                     


HOME/新着情報
メディアアートショウ
八戸芸術大学
イヴェント情報
ICANOFアーカイヴ
ICANOFの刊行物
BBS
リンク

ICANOFの図録・写真集
・ICANOF Media Art Show 2004
・ICANOF Media Art Show 2002-03
・ICANOF Media Art Show 2001

icanof banner ■ICANOF代表
  米内安芸
■プロデューサー
  三浦文恵
■キュレーター
  豊島重之

www.hi-net.ne.jp/icanof/
mail:icanof@hi-net.ne.jp

■ICANOF事務局
青森県八戸市古常泉下14-18
〒031-0022
Tel 090-2998-0224(高沢)
Fax 0178-45-9247
mail:icanof@hi-net.ne.jp
【 ICANOF アーカイヴ 】
- ICANOF Archive Materials -



詩を書くことと書きそこなうことの2000光年
2000 light-years between Ability and Disability to write poems
(1999年12月17日 八戸市公会堂文化ホールにおけるレクチュア)

稲川方人 INAGAWA, Masato(Poet/8mm Filmer)


(2)生きることと詩を書くことにおけるディスコミュニケーション

 あと、もうひとつ、分かりやすいのは国語ですね。ここにいらっしゃる方は、僕を含めて多くの方が日本語を国語としていると思うんですが、国語がまさにそういったものだと思うんですね。家族であるとか世代であるとかいったことには、多くの言説が我々を刺激したり停滞させたりするんですけど、日本語あるいは日本という国家共同体に対しては、我々は比較的意識することがないと言いますか、比較的というよりはほとんど日本語に対して、日本という共同体に対しては無意識なわけです。日本語が閉じられている、日本語は閉じられたシステムであると。日本という国家、それは日本だけでなくていいわけですけど、国家共同体というのは閉じられたシステムであるというふうには、通常は知ることがありませんね。自分がいるところ、自分が使っている言語に対して、そのようには見ないと思うんですね。にもかかわらず、例えば文学は閉じられてしまっているとか、現代詩が駄目になっているとかですね、言ってしまう。そういった意識自体をなんとか乗り越えたい、というのがひとつの大きな問題としてあるのではないかと思います。
 ですから、詩は、僕の場合は日本語という国語で詩を書いていますけれども、少しも今言った日本語という閉じられたエリアに対しての同一性、アイデンティティを自分の書く詩によって求める、とはもちろん考えないわけですね。一方が閉じられて、もう一方も閉じられている、それを乗り越える手立ては、どちらが優位であるか下位であるかというようなアイデンティファイにはない、と考えるからです。これは詩を書いていると実感できますので、むしろ日本語という閉じられたシステムから、いかに跳躍するか、超えていくかというのが、とりあえずごく実作的な場面に現れてくる、そのように言えるんではないかと思います。日本語という閉じられたコミュニケーション・システムに何か価値的なものを求めることには、おそらく現代詩の方法的な模索はないんだろうというふうに思うんですね。
 もっと積極的に言えば、コミュニケーションではなくて、ディスコミュニケーションですね。断つこと、断裁することのほうに、詩の意味が、初発の意味があるんじゃないかと思うんです。非常に、タイトル通り分かりにくい言い回しになってしまいますけれども、コミュニケーションを求めるのではなくて、コミュニケーションという同一性に拠る詩的な言語を求めるのではなくて、それを超えていく、そこから飛躍していくディスコミュニケーションのシステムがあるはずだ。少なくともそういった意味でのディスコミュニケーションのシステムが形式となったのが詩であると言えるのではないかなと、僕は自分の詩に即して考えております。
 ひとつ、ディスコミュニケーションの分かりやすい例を引きますと、90年か91年だったかに、谷川俊太郎さんと対談をしたことがありました。直接の契機となったのは湾岸戦争を巡る現代詩の、ある種のポレミックな状況が数年起こったんですが、それの一環で谷川俊太郎と何故か僕が対談することになりました。そこで谷川さんは、いろんな話のプロセスがあったんですが、どうもおそらく僕の様子がおかしいというふうに、様子と言いますか、何を考えてるか分からないというふうに思って、最後的な言い方で「一体君にとって生活することと詩を書くこと、どちらが大切なんだ」というような端的な問いかけをなさいました。僕はその問いに対して、その問いが終わらないうちに「詩を書くことが大切だ」と答えました。これは僕にとっては自明だったんですね。今言ったように、ディスコミュニケーション自体の形式を詩というふうに考えますと、あるいは日本語というコミュニケーション・ツールが物質的なものだと考えている者にとってみますと、生活、生きることと、詩を書くことが相対的な、比較可能な問題として成立すること自体が理解不能と言いますか、そういう文脈がないわけです。ですから、その問い自体が成立しないので、「詩を書くことのほうが大切である、それは決まっている」というふうに、即座に谷川さんに向かって答えました。当然、谷川さんは落胆するのと得心するのと相半ばして、成る程というような顔をしていたわけです。
 谷川さんの中には、何かふたつの、生きることと詩を書くこととの間にコミュニケーションの接線があるというふうな前提を持ってらっしゃるわけですね。ところが僕の場合、生きることが大切か詩を書くことが大切かに対して、詩を書くことが大切だと応えたのではなくて、詩が生活とコミュニケーションの接線を持ってしまう、そういった想像力に対して、否(いな)というふうに応えたつもりなんですね。生活と詩なんていうものは対立的なものではなくて、単に並行的なものだと思っておりまして、そこから問題はそれ以上深化しないだろうし、展開もしないだろうと思っていたものですから。僕が言っているディスコミュニケーション自体が詩という形式なんだという、具体的な一例なんですけれども、なかなかうまく言えないので、分かって頂けるかどうか。
 ついでに、その湾岸戦争のことで言いますと、もう既に8年ほど時が経って、ある種の記憶のリアリティというものが、当然我々から抜け落ちてくるわけですが、その中で、現代詩の詩人で最も激しく、今言った詩と生、生きることの詩を、あるいは詩的言語の生と同一的な可能性を問いかけたのは、藤井貞和という詩人でした。藤井さんの非常に実直で、直線的な問いをきっかけにして、現代詩の中でしばらくポレミックが、論争がありました。谷川さんと僕が対談したのも、その論争的な波及の一環だったと思います。その藤井さんは端的に、湾岸戦争ないしは戦争における無数の限りない死者にとって、いかに詩が無力であるかということを問いかけたわけですね。ほとんど涙ながらにと言いますか、くちびるから血を流すような激しさで、戦争の死者にとって詩がいかに無力であるかということを問いかけた。そのこと自体に僕は多くの答えを見出せないと言いますか、答がない。むしろ見出せないというよりも、先ほど谷川さんが質問なさったことと連係しますけど、つまり可能性としての答えがそこにないような気がしていますので、それ以上多くを言えません。
 その藤井貞和という詩人は実は国文学者なんですね。日本の古代文学を研究なさっている方であるわけです。閉じられた国語としての、つまり経験の共有されたものとしての国語を日本語を学徒的に研究なさっている方が、その一方で詩は無力か、なんて詩は無力なんだろうと問いかけること、そのことの方が重要で面白いなというと、たいへん失礼ですけれども重要だったような気がします。おそらく、たぶんそういうふうに問題は展開しなければいけない。死者と詩が価値的にどのようなものがあるか、その中で詩が価値的に有効であるか無力であるか、ということを問いかけるのではなくて、藤井さんがそうであるように、一方に閉じられたコミュニケーションシステムである国語というものを抱え、それを深化させ、抱えながらもう一方の詩という閉じられたコミュニケーションシステムを開こうとする力、意識という試みがなされている、そういう構図だと思うんですね。藤井さんが何故ほとんど我を忘れるようにして、あの当時、死者にとって詩は無力であるという論争に加担したかというと、おそらく藤井さんの中にある国語というものに対する同様の思いがあったからだというふうに思います。それに対しては計り知れないところがあって、少なくとも僕は日本の古代文学に対して知るところはほとんどありませんから、語り得ないわけですけれども。湾岸戦争という90年代の初頭に世界史的にみて重要な出来事を、1500年というパースを持っている日本の初期文学の研究者が対比させたことが何か重要な事だったような気がします。
(2 out of 3)  >> read more


(図録"ICANOF Media Art Show 2001"より転載)



Copyright © 2001-10  ICANOF  All rights reserved