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詩を書くことと書きそこなうことの2000光年
2000 light-years between Ability and Disability to write poems
(1999年12月17日 八戸市公会堂文化ホールにおけるレクチュア)

稲川方人 INAGAWA, Masato(Poet/8mm Filmer)


(3)詩を読むことと書くこと──才能という物質的想像力

 もうひとつ、今のコミュニケーションあるいはディスコミュニケーションを巡る問題、外発的な問題と同時に、どなたもが考えると思いますけれども、詩を書くということに孕まれる自我という問題があります。自我というのは哲学的な概念だと思いますが、文学的に言うと内面ということだと思います。それが同時に詩を書く時に襲ってきます。自我の問題ですね。これも精神分析学者でもないので簡単に言うことはできないし、深化させていくことはできないので個人的な話をしますと、僕はだいたい10代の半ばぐらいに詩を書きはじめました。当時16〜18才ぐらいの2年ちょっとの間に考えられないくらい多くの詩を書いたんです、数量的に。たぶん3000篇ぐらいの詩をその2年ちょっとの間に書いたと思います。だから、その間に何をやってたかと言うとほとんど詩を書くことしかやってなかったんですね。あまり勤勉な方ではなかったので学校にもあまり行かなかったんですけど、詩を書くことをやっていた。で、途中から、何故こんなに書いてしまうんだろうという謎に、当然ぶちあたるわけです。その時にそうかなと思ったのは今言った自我の問題、自分が持っている自我が詩という形式の中にとりこまれる時に、自分はどうなるのかということを考えたと思います。で、徹底的に毎日毎日あたりかまわず詩を書きなぐっていて、3000篇の詩を2年ちょっとの間に書く間に、いわゆる自我というものが対象化されると言いますか、外部に追い出される。そんなものは詩という形式にとって本質的に関係がないんだという地点にまで、自我を追い込んでしまおうとしているんだなと、おそらく当時僕は考えたと思いますね。
 自我や内面というのは様々、年齢的な側面でも違ってくるわけですが17〜18才の最も多感なと言いますか、集約しやすい年代で、自我というものが最も露骨に肉体の外に出てしまうような、表出されてしまうような年齢の時に、その自我が一番、詩を書く時に邪魔になるものだった。たぶんこういうものを持っているといつかは書けなくなるんじゃないかと、どこかで考えたと思いますね。ですから、徹底的にやろうとして、数年間ほとんど熱狂的に詩を書いたわけですね。一方で当然それが評価的に、つまり価値的にどのような評価を受けるかということもわずかながら気になりますので、ある大所帯の同人誌に当時入りましてですね、高校1年か2年の時に入りましてとにかく、そういう意図を持って書いて自分の詩がどういう水準で読まれるのかということを一方では計測したわけですね。で、まあまあの評価を得たので、その辺でちょっと安心したんですね。自分に即した話で自分が書いたものが、まあまあの評価を得たなんて言うと非常にイヤミに聞こえるんだろうと思うんですけど。
 そこで、もう一つ僕が非常に重要だなと思うことをお話しますと、今、単純に自分の書いたものが、まあまあの評価をうけたみたいなイヤミなことを言いましたけれども、要するに才能ということですね。皆さんの前で一人で話している人間が才能という言葉を使ったりすると、さらにイヤミなことがイヤ増すわけですね。それは才能という言葉が持っているものがいけないんだと思うんです。先ほど言った自我というもの、つまり先験的なものですね、先験的だと思われているもの。ほんとは違うわけですが。自我あるいは内面、自分が持っているだろうと人が自己自身を思うもの。自我が絶対的なものではないと、外部に追い出せるものだと捉えますと、実は才能という言葉もほんとはアプリオリなものではない、そんなものは全然先験的なものではなくてもっと別なものなんだと思う。そういうふうに才能という言葉を聞いて頂きたいんですけれども。
 僕に即して言うと、10代半ばに、異様とも言える量の詩をを書けたもう一方の大きな理由が、詩を読んでいたからですね。その当時はいわゆる近代詩人を手当たり次第に読みあさっていたわけです。詩を読む、即座に詩を書くという関係が自分の中で出来あがっていた。書くという形っていうか、スタイルがそういうふうに出来ていたってことが異様な速度と量で詩が書けた一因だと思うんですけれども。要するに自分が読んでいたもの、近代詩の多くから、そのつどインスパイアされるものが、自分の自我を通ることで、自我を希薄にしてくれて、自分の中の詩を成立させてくれたかなと思うんですね。それは何かと言いますと、影響という言葉なわけです。
 だから、僕は才能というのは、人が持っている能力を差別的に表現する概念ではなくて、影響だと思う。自分の外部から受ける影響をいかに組織化するか、その組織化の有無を、僕は才能と、少なくとも呼んでいる。おそらくそのように才能という言葉を使った方が正しいというふうに思ってますね。今日これから御覧になるモレキュラーの演劇の中にはえば吉増剛造さんのテキストが導入されていますし、時間というメカニズムが導入されています。つまり影響ですね。ですから、モレキュラー・シアターもいわば才能の演劇だと言っていいかと思うんですね。
 影響を受ける、その才能とは何かと言うと、別な言い方をすれば物質的な想像力だと思うんですね。才能というような抽象的な価値、人間的な価値ではなくて、外部から受ける物質的な想像力を才能と言うべきかなと思います。中途半端になってしまいますが、その、吉増さんに即してと思いましたが、メモからははずれております。もう少し世代的なお話をしたかったのですが、多少時間が足りなくなってしまいまして、どのようにおさめたらよいか。
 先ほど湾岸戦争の話をしました。91年ですか、しかし湾岸戦争が重要なのではなくて、89年という一年が重要な年だと僕は思っているんです。その89年から、現在10年経っているわけですね。89年がどんな年だったかといいますと、天皇が死んだ年です。明治から100年目の年です。フランス革命から200年目の年です。そしてベルリンの壁が解体されて、東欧社会が崩壊する象徴となった年です。非常に重要な年が89年です。それからの10年が現在なわけです。たぶん20世紀の一切の収斂された形は、89年から現在までの10年の間に現われたんではないかなと思います。ですから、この10年を越えていくのが、やがてくる21世紀ですし、この10年によって決算されたのが20世紀です。
 そして、その前提としてもうひとつの時間軸があって、それは68、69年という年なんです、僕にとっては。あるいはそれが普遍化できるといいなあと思っておりますけれど、68年69年からの20年後が89年になると。そこからの10年が20世紀の終わりなんだというふうに、時間を区切りたいと、僕は思っております。で、その68、69年からの20年後が89年であるということ、この20年を僕が非常に拙い形で総括するという意図をもって、90年代に入って2冊の詩集を出したんですね。そのひとつが今日の演題にもなっている2000光年という言葉が入った「2000光年のコノテーション」という詩集です。もう一冊が、今回のモレキュラーの演劇空間の中に引用される、非常に長ったらしいタイトルの詩集で、それを僕は90年代の初期から中期にかけて書きました。68年からの20年を、いわば2000光年の距離のコノテーションとして波及的な拡張に託すべく書きました。僕は端的に、20年戦争と呼びました。僕流にいたずらに言うと、68年の革命から89年の反革命に至る20年戦争なんですね。それを総括するという意味で、つまり、その20年に対するエレジーを書こうという意図が、2000光年という非常に膨大な距離に託されています。たぶん、そうだろうと思います。

(3 out of 3)


(図録"ICANOF Media Art Show 2001"より転載)



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