HOME
EXHIBITION
GEIDAI
EVENT
ARCHIVE
PUBLICATION BBS
LINK













                                                                     


HOME/新着情報
メディアアートショウ
八戸芸術大学
イヴェント情報
ICANOFアーカイヴ
ICANOFの刊行物
BBS
リンク

ICANOFの図録・写真集
・ICANOF Media Art Show 2004
・ICANOF Media Art Show 2002-03
・ICANOF Media Art Show 2001

icanof banner ■ICANOF代表
  米内安芸
■プロデューサー
  三浦文恵
■キュレーター
  豊島重之

www.hi-net.ne.jp/icanof/
mail:icanof@hi-net.ne.jp

■ICANOF事務局
青森県八戸市古常泉下14-18
〒031-0022
Tel 090-2998-0224(高沢)
Fax 0178-45-9247
mail:icanof@hi-net.ne.jp
【 ICANOF アーカイヴ 】
- ICANOF Archive Materials -



金村修(写真家)インタヴュウ
「メロディって選別じゃないですか。ノイズは選別しない。見えてるものは全部重要なんですよ。」

聞き手 豊島重之(ICANOFキュレーター)



──2001年2月21日、渋谷のナディフで、金村修スライド・ショーと、倉石信乃さんとのトーク・セッションが行われた。 終演後の金村修写真集出版パーティの合間をぬって、ICANOFインタヴュウも行われた。

(1)僕、結構、ツブしますからね
豊島 今日のスライドは、ノースカロライナでやった写真展の現物ですか。
金村 そうです、現物です。あと20枚ほどお見せしてないスライドがあるんですけど。全部で100枚ぐらい展示しました。
豊島 そうすると、2段がけ3段がけで?
金村 全部4段です。吉野と2人展でしたし、割と狭いところだったので。
豊島 横浜美術館の時の「絶対風景」展みたいに、プリントを壁面に直接貼ったんですか。
金村 そう、直に貼るという感じですね。
豊島 今、直に貼る写真家というか、アーティストはいないんじゃないですか。
金村 どうなんですかね。いることはいるけど、主流ではないですね。たまに見ますけど。結構みんなお金があるから、額、買いますもんね。
豊島 額装が何か博物館の標本みたいに見えちゃう、ということに拒否感みたいなのは?
金村 いえいえ、私は最初から額装でもよかったんですけど。要するに100枚展示する額はないんですよね。あるんだったら、使いますけど。「量」を展示したいっていうのが、自分の意識として強かったから。ある程度の量を発表できるんだったら、形態は問わないみたいな。
豊島 「量」ってことは、たとえば「都市」ってことですか?
金村 僕の写真の場合、「量」をだすっていうのが、大変重要なことなんです。額装しないっていうことは、写真を一枚で見せない、一枚で決定させないっていうことでしてね。べつに一枚一枚で写真を見せるという可能性を否定しているわけではないんですが、一枚で決定させたくない。だからといって、「量」をだすことで、写真を模様のように見せたいわけでもない。要するに、これ!っていうふうにキメたくないんです。キメたくないから「量」をだすっていうのもあるし。それに今の時代、写真のキメって何か恥ずかしいでしょう。
豊島 アメリカまでは、丸めて持っていったんですか。
金村 いや、真直ぐに。丸めたら、真直ぐにするのに一週間かかりますよ。
豊島 それでも、印画紙だから、歪みとか。
金村 ああ、出ますよ。湿度によってはベコべコになることもあるし、反っていったり。
豊島 そうなってもいいと?
金村 うん、なったらなったで構わないんじゃないかな。僕は発表さえできれば発表形態は問わないから。
豊島 ということは、さっきのトークセッションでも「物質性」の話が出てましたけど、やっぱり写真ってのは紙なんだと・・・?
金村 それはありますね。紙ってのは「紙」じゃないですか。自分の意識の中に所有できないものじゃないですか。どうしても、自分の外側にあるものだから。
豊島 しかも自分が作ったものではないと・・・?
金村 ええ、そうですよね。やっぱり他人様が作ったものをやってるみたいな。あと、どういうふうに反るかというのは、自分でも予想できないものだし。ジョン・ケージの「チャンス・オペレーション」の音楽みたいな感じで、それはそれで面白いかなと。展示場所によって反り方、変わりますからね。ただ、不思議なことに、だんだん真直ぐになってくるんですけどね、フフフ、なんでしょうね。
豊島 今回、6枚写真を送っていただいたんですけど、それを実際に見たICANOFのメンバーがすごい、いい焼きだ、ここまで焼ける人はそういないと。
金村 まあ、一応アカデミックな教育は受けてますから、フフ。僕、結構ツブしますからね。そのツブし方も問題があって、いかにもってツブし方があるじゃないですか。そういうのはあまり好きじゃない。
豊島 いったん、焼きつけ定着してしまっても、それ以後もジワジワと化学反応が鈍化しながら進んでいくっていうのは?
金村 そうですね。定着をちゃんとやってなければ黄色くなってくる。
豊島 1802年にウェジウッドが硝酸銀でやりますよね。そして1830年代に、ダゲールとかタルボットが、塩化銀とかヨウ化銀とか、いろんな・・・?
金村 あの頃のプリントって、もう空気に触らすことができないから、見れないんじゃないですか。完全に金庫なんかに仕舞っちゃって。空気に触れるだけで変化しますからね。今の写真も「百年プリント」だとか言ってるけど、誰もまだ100年やってませんから。
豊島 100年もつプリントは技術的には?
金村 技術者は可能だと言ってるから、信じるしかない。ただ誰も見てないですからね、フフフ。
豊島 今のはもちろん、銀塩写真ですよね、デジタルじゃなくて。あの銀は?
金村 なんか体に悪い銀らしいですよ、まあ、銀は体に悪いんだけど、何だろうなあ。ハロゲン化銀とか・・だと思うんだけど。

(2)写真家は被写体にスポットライトを浴びせるもんじゃない。
豊島 デューク大学での講演会ですけど、向こうのスチューデントには挑発的に映ったんですかね。
金村 スチューデントはいなかったんですよ。ほとんどが大学の教授。そういうことではどんなふうに思われたのかな。反論してたのは、ほとんど一人なんですけど。イメージってのが先行してる人のような気がしました。こっちの喋り方も悪いんですけど。知ってる英語がほとんど「リアリティ」ぐらいなもんですからね、フフフ。
豊島 でも、インタープリターはついたんでしょ?
金村 つきましたけど、「現実、現実」って言ってるだけで、混同して喋ってるから。そこらへんのボキャブラリィはハッキリさせておくべきだった、ていうのはありますけどね。
豊島 都市のディテール、それも徹底して物質的なディテールが、100枚もワーッとあるのを見て、これは自分らがそれまで知ってた東京のイメージと違うとか、あるいはオリエンタリスムとかジャポニスムがないとか。そういうことですか、その向こうの学者だか研究者が言ってるのは?
金村 日本はアジアだから「アジア的混沌」っていうのを期待してるんでしょうけども、それは関係ないわけですから、こっちは。その辺のギャップはあるでしょうね。
豊島 非常にストイックな感じに受け取られたんですかね?
金村 そうですね。僕の話はソーシャル・ランドスケープ(Social Landscape)についてだったんですけど、向こうのソーシャル・ランドスケープの捉え方って、全然違うんですよね。向こうはポリティカル・アートが全盛だから。もっと政治的な、社会告発的な意味っていうか。僕らの方は、写真のつくり方の新しさみたいなことであって、社会告発的な意味なんかないじゃないですか。そこがずいぶん、捉え方に落差があるんだなと思って、それはびっくりした。逆に、アメリカ人はソーシャル・ランドスケープにどういう影響を受けてるのかなと、かえって疑問に思いましたね。
豊島 ポリティカル・コレクトネスとかポスト・コロニアルな問題、つまり移民や難民やマイノリティやサバルタンに対する大がかりな反動とか。端的に、なんでゲイ・セクシュアリティを撮らないんだとか、ですか?
金村 それは重要な問題なんだけど。でも、それは写真の本質的なこととは関係ないと、僕は思うんですよ。
豊島 ジャンク・ヤード(Junkyard)を撮ってるんじゃないということに関しては? 向こうの人は、東京という都市の、現在のジャンク・ヤードを撮ったんだという理解なんですか。
金村 でしょうね。見るとジャンクっぽいしね。ただ、僕がジャンクって言ってしまうと、撮った対象にまず、すごく失礼だし。ジャンクだっていう意識はそんなないですね。汚いな、とは思いますよ、それぐらいは。結構ゴミゴミしてるなとか。ただジャンクとまで僕は言わない。それは僕が意味づけすることじゃないでしょう。要するに僕がなんで意味づけしないかっていうと、それは被写体に対して失礼なわけだし。撮られたい、撮られることを望んでる街ではないじゃないですか。それに対して、撮って意味を与えると、まるでこっちがスポットライトを浴びせてるような感じだし。写真家はスポットライトを浴びせるもんなんだ、という議論もあるけど、僕はなるべく撮ることで、さらに「無名性みたいなもの」のほうへ被写体をひっぱっていきたい。スポットライトを浴びせるとか、意味を与えるとかっていうのは、神の視点の話だから。写真家の立場でできるようなことじゃないですしね。名前や意味なんて人間が勝手に都合よく考えたものでしょう? そんなものがなくったって被写体は勝手に成立しているんだし。その「勝手に」っていう方に、僕は身を寄せていきたいですね。
(1 out of 2)  >> read more


(図録 "ICANOF Media Art Show 2001" より転載)



Copyright © 2001-10  ICANOF  All rights reserved