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【 ICANOF アーカイヴ 】
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金村修(写真家)インタヴュウ
「メロディって選別じゃないですか。ノイズは選別しない。見えてるものは全部重要なんですよ。」

聞き手 豊島重之(ICANOFキュレーター)


(3)赤のレィンジまで針を振り切ってしまうことですよ。
豊島 横浜の「絶対風景」の時、シンポジウムで金村さんは「見えてるものしか撮れないんだ」と。しかし、見えてるものしか撮れない写真によって、ふだん見えないものまで写ってしまってる、ってことに関して、見える見えない、ヴィジブル、インヴィジブルってことですが。今も大体そういうようなお考えなんですか。
金村 見えないものは写りませんからね。社会問題ってのは見えないわけですから、それは考えないといけない。思考しないといけないわけですから。そういう意味で、この間、青山ブックセンターで、誰かに写真が変わらないのは思考を停止してるからですかって、言われたんだけど。じゃ、思考しながら写真はできるのかと思いましたよ、フフ。思考するってのは、対象に対して、意識的に働きかけて、その自分の意識関係の中に自分を引きずりこむってことだから。僕はそういうことはしたくないわけですよ。それは単純に主体がね、個別意識から理性的な意識に段階を踏んで進化していくってことだから。むしろそこで、思考を停止させるってことのほうが重要じゃないかなと。見ると、あ、これだ、みたいな。そういう、ある種、意味を与えない、みたいなことはありますよね。だから、見えないものをいかにも見えたように語るというのは・・。
豊島 イリュージョンですよね。
金村 ええ、それはやめようと。
豊島 金村さんの写真のタイトルに、赤っていうのがよく使われていて、つまり針の振れる赤のレィンジのところに興味があると、以前伺ったんですが?
金村 ええ、そうですね。要するにノイズというのは、音楽的にいうと、周波数がアットランダムに出ちゃうということがあるんです。たとえば、「ド」なら、245ヘルツかな、忘れちゃったけど、基本のヘルツがあって、それに対して音がゆっくり下がってくるみたいな、「倍音構造」というんですけど。ノイズはそれがないんですよ。全てが同等で、245なら245、350なら350ヘルツのところがバーッと出ちゃうみたいな。渾沌というわけじゃなくて、全てのモノが同等に、しかも一度に出てしまうと、どうなるかっていうと、やっぱりこれは違った感じで見えるんじゃないか。ノイズっていう言い方だと、どうしてもイメージ的にとッ散らかってるとか汚いとか、ある種情念的な感情があるとか考えがちだけど。それを音楽的に考えると、もっと違ってくる、全ての音が「等質化」してくるみたいな。基準の音がないってことですね。
豊島 針が振れて、赤のレィンジ、それは写真の現実、現実の振り切れ方というか。写真は現実しか撮れないはずなのに、我々がこうして見ている現実とは違う現実が出てしまう?
金村 ええ、「写真的な現実」ですよね。
豊島 そう。で、赤に振れるところの現実ってのはどうですか。現実じゃなくなっちゃう危険、この間、危険っておっしゃいましたね?
金村 ええ。ただまあ、写真もひとつの現実ですから。赤に振り切る直前ってのは、赤になりたい欲望ってのもあるし。それは被写体という、ある種正式なモデルがあって、それを正しく写すことのできない「写真のもどかしさ」みたいな、違う意味のタイムラグが出てくると思うんですよ。それはものすごくルサンチマンみたいになってしまう悪いタイムラグだと思うし。そういうものを振り切ってしまった方がいいんじゃないか。現実を精密に描写する能力はあるんでしょうけど、撮った後は違うものが出るっていう、それは写真の現実だろうし。そういう現実ではノイズ的にいろんなものが同時に見えてしまうもんだろうし。それから見えてるものを全て写すということは、見えてるものは全部重要だということですからね。「全面肯定」しちゃうわけだから。メロディってのは基本的に選別じゃないですか。でも、ノイズは選別しないわけだから。そういう意味で、赤ってのはありますよ。それから、感情とかイリュージョンとかいうのは振り切りたいみたいなところがありますよね。

(4)要するに外国人に見せるような気分っていうか。
豊島 面白いですねえ。最後に、八戸でワークショップを開いていただくわけですけど、何か一言?
金村 目標は高く持つことですよね。フォトコンテストで一位を撮りたいとか、仲間とつるんで撮影旅行に行っちゃったりとか最悪。そういう人は分かってくれる人に分からそうとするでしょ。じゃなくて、分かってくれない人に分からせる努力っていうか。最終的に分かってくれないんですけど、分からない人ってのは。それでも見せる、みたいな。分かってくれる人がいて、ああ、嬉しいじゃなくてね。
豊島 ただ単に写真行為をやってみたら? ということですか。
金村 あと、一流のモノを知ることですよね。
豊島 学生のほうが面白いとか。
金村 いや、学生の方がかえって保守的だったりするんですよ。年寄りが面白い。年寄りって過激なんですよ。突然おかしくなるから。あれは人生の蓄積なのかどうか、フフ。
豊島 ワークショップには女性が多いかも。
金村 あんまり、旦那のことは考えないことでしょうね、フフ。よく友だちに見せたがる人がいるんですよ。友だちに誉めてもらうことを喜ぶ。そうじゃなくて、友だちが怒るような写真っていうんですか。あんた、狂ったんじゃない? と言われるくらいのほうがいい。僕だって友だちに見せたら評判悪いですからね、フフ。なんで裸、撮らないんだとか。友だちはそういうもんなんですよ、フフフ。そこで分かってもらっちゃって、そうだよな、一緒にイマージュ批判でもやるか、ってのは友だちじゃないし。だから、使い古された言葉だけど、要するに外国人に見せるような気分っていうか。自分のことはまるで分かってくれない人に見せるんだっていう。その、見せるんだってのが重要ですからね。撮るからには見せるっていう意識があるだろうし、見せるからにはいろんなことを知っといた方がいいだろうし、写真に関して。写真集を「見ること」と「撮ること」は同じでしょうね。古い言い方で、写真はセレクションのアートだというのがある。選ぶっていう、創造じゃないですよね。創造はゼロからつくるけど、セレクションはあったものからどれを選ぶかってことだから。
豊島 写真っていうのは、エディトリアルの、編集のアートだ、っていうことですね。
金村 そういう意味では、写真集を見ることと撮るってことは同じだと思うんですよ。どちらかっていうと、見るってことを、おざなりにするじゃないですか。撮ることを先行させるし。そうじゃなくて、そこは同じだってことは知っといた方がいいですよね。一流のミュージシャンはいい音楽をよく聴いてますし、当たり前に。写真の人ぐらいなんですよ、何にも知らないでやっちゃってるのは。いいものを知れば、自分がどのレベルか分かるし。その、いいもの、ってのが実は難しいんでしょうけど。
豊島 有難うございました。
(2 out of 2)


(図録 "ICANOF Media Art Show 2001" より転載)



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