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イナーシア inertia の写真

北島敬三 (KITAJIMA Keizo, photographer)

聞き手 豊島重之(ICANOFキュレーター)

(3)支持体と基底材/「写真=イメージ」の交換不可能な単独性
北島 実際、写真について語るのは難しいですよ。
豊島 椹木野衣さんらとの鼎談で、北島さんが「ただの写真を撮りたい」と仰ってたと思うんですが。それは先程の、どうしても何かについての写真であってしまう写真、とは対極的な意味で?
北島 いや、あの時はそういう文脈ではなくて、もうちょっと違う感じで言ったと思う。「表現していない写真」というか、その程度の意味合いですけどね。
豊島 過剰な意味付けがないというか?
北島 だから、役に立たないとか、利用価値がないとか(笑)。どうしても写真を見る時に、好き嫌いとか、良いとか駄目だとか、写真を一つの徴(しるし)として全体性を持たせちゃうじゃないですか。それは一方で、見る人が自分の同一性を強化してもいるわけですよ。だったら逆に、好きとか嫌いが発生しない写真の方が面白いなと思うんです。いずれにしても、同一性の原理に基づいて作られたり見られたりする写真って多い。それに対して「ただの写真」という、そんな程度ですね。
豊島 表象を剥ぎ取るっていうか、眼差しを剥ぎ取るっていうか、そういう意味合いもある?
北島 そうですね、跳ね返すっていうか。
豊島 じゃ、ただの写真ではないよな(笑)。例えばですね、データ画像に対して、ブツとしての画像を考えた場合、その中間にある「ペラペラの写真」については如何でしょうか?
北島 一日中、デジタル画像をいじってると、紙って立体なんだなぁ、っていう感じがしますよね。重さもあれば厚さもあって。
豊島 デジタルの場合は、ディスプレイに映っていても、それは写真ではない? データの間はまだ、つまり実際にプリントされて手に取るまでは、写真ではないと言うべきでしょうか?
北島 写真=イメージって「支持体」が要りますよね。印画紙であろうと印刷物であろうと、何らかの支持体は必ず必要です。おそらくディスプレイも同じでしょう。しかし、それ以前に、写真=イメージにはネガという「基底材」とも呼ぶべきものがあります。
 つまり、私達が見ている写真=イメージは、実は<ネガという物質>を反転コピーしたものです。そして、その事が、どんな写真=イメージにも交換不可能な単独性を与えているのだと思います。まさに、失敗も成功も、傑作も駄作も、写真には無いという事になるわけです。
 デジタルイメージは根本的に写真とは違うと思いますが、デジタルカメラは、今の処、銀塩写真のフリ( simulationではなくemulation )をしているように見えます。
(4)北島敬三の「不活性の写真」はどこから到来したのか
豊島 また鼎談の際の質問ですけれども、例えばこの「写真という装置の物理的な属性にまで帰ってしまうのは問題じゃないか」っていう、結局それは、イメージの場に立つべきだというお考えで?
北島 印刷されても、ディスプレイ上でも、ここにあるのも全て写真ですよね。ほんとの写真なんて無いんです。
豊島 あくまでも現場でというか?
北島 実際の処、今は銀塩写真の危機の時代です。でも、だからと言って、原理や起源に戻っても仕方ないでしょう。
豊島 CD-Rを見ると広島とかNYとか様々ですけど。今、特に狙ってる街はありますか?
北島 今、一番撮ってるのは、新宿のこの辺りなんです。
豊島 確か『PLACES』の写真には人影が全くなかった。それは、やっぱり意図的に排除してる?
北島 『PORTRAITS』と『PLACES』は人と風景が分離した処が出発点になっているから、そうなっているわけです。でも、そんなにシヴィアでなくて、ちょこちょこっと居たりする事もあって、目立たなきゃいい、という程度です。
豊島 『TOKYO NOBODY』については、北島さんはどういう感じを持たれてますか?
北島 写真集を送って頂いて見たんですが。自分の考えている事とは違いました。僕に送って下さったって事は、何か関連があるって思われたんでしょうけど。最近は、ますます不活性で曖昧な場所を撮るようになっています。
豊島 「不活性=イナート/inert, イナーシア/inertia」というのは、無力化していくとか?
北島 何も起きないという事でしょう。もし、「人がいない」という事をテーマにしてしまったら、それだけでドラマティックですよね。そうでは無いんです。
豊島 今回の「風景にメス」っていうテーマですけど、風景から人影がいなくなる事もまた、メスの一つなわけですよ。でもそれを『TOKYO NOBODY』っていう形でドラマティックにやると、それは、傷口がまた塞がれてしまうわけで。
北島 そうですね。
豊島 だから多分、ドラマティックなものは全て、予定調和的、起承転結というか、まぁドラマってそういうもんですから。むしろ北島さんはそうじゃないお考えだと今のお話でよく理解できたので、それだけでも、写真というものがこの世の中に「在るという事のJoy」というか。Joyですね、それは。
北島 「傷口=Joy」かどうか分かりませんが、不活性で曖昧な場所を「明快に撮って」しまいたいって思っています。
豊島 東京広しと言っても、photographers' galleryのような運動体は、他に無いんじゃないですか?
北島 自主運営ギャラリーといったものは幾つかありますが、殆どがレンタルをしています。で、その辺りが、ちょっと違うなと思っているんです。写真を撮ってると、撮ってるだけじゃ済まないんですよね。制作の回路だけでは処理できない事が出てきます。そうすると、そういうのを何とかしていかないと、全然前に進まなくなるんです。そのために、場所とかさっきの雑誌とかが必要になってくる。写真を撮っていく上での副産物だという感じもします。だからレンタルという発想は全く無いんです。

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(図録 "ICANOF Media Art Show 2004" より転載)



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