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道連れ──ロバート・フランク、《バス・フォトグラフス》と《1時間》
Accompanied on a Journey: Bus Photographs and One Hour of Robert Frank

倉石信乃 Kuraishi Shino


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 モダン・フォトグラフィの「終わりの始まり」が『アメリカ人』において胚胎していたとすれば、「バス・フォトグラフス」はそれを密かに縁取る、ささやかだが鮮烈なコーダのようだ。ロバート・フランクはいつも、繰り返しにけりをつけ、出口を見つけて脱出する。映画という出口を見つけた時にはライカはカップボードに収納され、こそこそと他人の視線を気にしながら「盗撮」した上で、「真の写真的一瞬」をこれ見よがしに掲げてみせる、どうあっても非倫理的である他はない「儀式」から解放されただろう。しかし、その前には必要な訣別の「挨拶」がなくてはならなかった。それは、出来事/風景を捉えるのに有利なマージンに位置し、確信犯的な傍観者であり窃視者である写真家の存在様式と別れ、無名のバスの乗客として「車窓越しに見る」という存在を生きる「当事者」へと「下降」しつづけることに他ならない。作者性の放棄に至る際涯に踏みとどまりつつなされる、「バスの窓越し」という間接的な距離からの対象への働きかけは、その実、安全な位置からの「観察」とはほとんど連絡を持ち得ない。観察に必要な一定時間の注視は、バスの運行によってなし崩しになり、一つの風景は確定を得る前にすでに別の風景へと次々に転換を遂げてしまうだろう。フランクは、有利な視点を進んで確保する視覚の権力者の地位を受動的に手放すことに同意しつつ、バスの座席という限定的な、貧しくさえあるかもしれない、不自由な視点にとどまることで、その特質を逆用する。「写真という受動性」の極限を押し開くのだ。フランクは、「バス・フォトグラフス」の性格について、経験を交えて、次のように説明している。

 《私がこれらの写真を見るときはいつも、(ライカで)撮ったときの/感触や撮り方、さらにはそれが気に入った理由について何かを言いたくなる。/バスは私を乗せて街中を走り、私は窓の外を見る、ストリートの人々を、太陽を、信号の光を見る。絶望と忍耐をもって過ごさなくてはならない──ニューヨークの暮らしにはそいつがつきまとうといつも感じてきた。ニューヨークのコンクリートとそこにいる人々に対する憐れみとおそらくは理解──歩くこと・・・待つこと・・・立ち上がること・・・手を挙げること・・・1958年夏のことだ。//内側から外側へ、見ることの感情を高めるため/写真の周囲をグレイに。//次々にその写真を見ていきたい。それはまさに乗っていくのであり、/フラッシュバックのようなことではない。》(6)

 撮影時の感覚に触れつつ、ここでは記憶の蘇生術としての写真ではなく、いままさに進行していく「出来事としての写真」の価値が見い出されている。ロバート・フランクの1970年代以降の写真作品が、肉親や友人の死を契機に生み出されていき、いつしか彼は「記憶の写真家」と呼ぶべき稀有の存在となった。しかし、彼の個人的記憶への絶えざる言及は、単に忘却への恐怖と後ろめたさをうち消すようにやってくる、鮮烈な「フラッシュバック」への耽溺に基礎を置くものではない。そうではなく、忘却と想起の対象の側から見れば、「彼岸」に位置する「いまここ」にあって、車輪の回転によって自動的に運ばれていくような未見の前方への不可避の運動との、際どい軋轢や摩擦を伴うものなのだ。だからこそ、ロバート・フランクの記憶をめぐる未踏の旅は、深化を遂げてきたのではなかったか。フランクが、「バス・フォトグラフス」に見ているのは、「記憶の零度」において、押しとどめようもなく進行する「生」の時間的経過における「残酷と爽快」の分裂的な把持である。生の時間を仮に一瞬氷結させ、その場に係留させるかにみえる、簡明な機械=カメラの「残酷と爽快」の分裂的な把持ではないだろうか。
 「バス・フォトグラフス」は、1972年の写真集『私の手の詩』に登場して以来、彼の回顧展や回顧的なアンソロジー出版の度に、ほぼ必ずといってよいほど収録されており、前期(写真家時代)と後期(映画作家時代)をつなぐ、いわば蝶番の位置を占めてきた。バスの車窓からの眺めが明らかにするのは、通常の意識的な視覚に対しては顧慮の対象に埒外に置かれるほどの、何ほどもない都市の一隅である。それは、すでに写真の明証性の主張ではなく、流動と不分明な何ものかの把握である。しかし、写真家自ら流れを作り出すのではなく、都市のリズムに同調して、それとともに受動的発見が繰り返される。都市の構成する「一細胞」としてのバスの運動によって、いま一つの「細胞」である作者はひとりでに都市の内部を運ばれていく。別の同位的な「細胞」(信号機、交差点、バス停・・・人々・・・)が発する合図と身振りに呼応して、シャッターが切られる。視覚は主体的な決定を統御する権利を留保したまま、刻々と変化し続ける偶然の連なりの中に溶解する。フレーミングは、バスの窓枠によって事前に選択され、風景は写真家が切り取る前にすでに切り取られている。写真家が自ら取捨選択する「構図」や「光」の構成は、偶然という与件の最小限の統御に置換される。
 ここにあるのは、生の似姿となった写真の、徹底した「不自由さ」がもつ残酷と爽快の「すべて」である。「バス・フォトグラフス」にあるのは、限定的な視覚の「等倍(として)の拡がり」であり、車窓とファインダーによって二重にフレーム化されるにも関わらず、「すべての」領域は決して閉じない。
 「バス・フォトグラフス」は、カメラが限りなく易における筮竹に接近した瞬間を連想させる。筮竹は未知の事象の「全領域」を、現在において可視的に構成できる。しかし、この写真的「占い」では、易のように、ありうべき答えを導き出すための精密な解読格子は全く用意されていない。必要なのは、「それが何を意味するか」を有限な知識と技術で事前に組み立てておくことではなく、制作者側の意味の体系をあくまでも開いておくことである。このチャンス・オペレーショナルな営為は、シュルレアリスム的なオートマティスムの言語的実験とも違っている。その実験が強固な覚醒的統御の技術の披瀝や、芸術家主体もしくはその共同性の肯定へと逢着する同じところで、写真にはそのようなリアルの超克による新しいリアルを、「芸術作品として」出現させることはできない。写真は「散文的」に過ぎるし、それはほとんどたった一つの技術しかない。それは、現実を直視する技術であり、直視の複数の様態を明示する技術である。バス=カメラ=写真家は、それぞれ同等の資格で、卑近な都市の現実を横断する「線」として互いに短絡しながら、現実の断面を即物的に切り出していくだけだ。

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(図録"ICANOF Media Art Show 2001"より転載)



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