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コミュニケーションとアート
三浦文恵(ICANOFプロデューサー・フリーアナウンサー)



(1) 八戸市民はコミュニケーションが下手である

三浦文恵氏 近影

 コミュニケーションには様々な形態があるが、一番基本的な「話す」について。
 もともと日本人は、コミュニケーション能力をみがく訓練をしないまま成長する。学校教育における国語では「聞く・話す」ではなく読み書きばかりを学習し、家庭や地域社会においては、核家族化や家族・地域のコミュニケーション不足で、身近な生活の環境が既にコミュニケーション成立を危うくしている状況にある。八戸ではこれに加え、昔からよく言われる南部人気質がある。おとなしく、事を荒(あら)らげず、まず回りを見てから己れの行動を決めるという受動態が、狭い「しがらみ社会」でうまく生きていくコツ、と信じているようなところがある。
 こういった人たちに、幼い頃から自分を主張し、日常的に他者と意見をたたかわせてきた外国人が同じ土俵でコミュニケーションを成立させようとしても無理な話ではないかと思う。特に相手が外国人である場合は、伝えようとするコミュニケーションの基本以前に、言語の違いをまず持ち出して、日本人は更に自ら壁を作ってしまう。
 外国人や県外の人に出身地を問われ、せっかく八戸をアピールするチャンスなのに、面倒なので東京出身ということにしてしまう、という八戸人が多い。自分の出身地八戸に自信がない、そして地元の事を聞かれてもあまり知らないという不勉強がさらけだされるからだ。
 コミュニケーションには、それを求める人には話を発展させていく喜びがあるが、拒絶する人には他者に自分を知られてしまうリスクがある。だから、コミュニケーションが下手というのは能力のあるなしではなく、自らがすすんでもとめようとしない姿勢の問題ではないか。
 今の若者もまさにそうで、コミュニケーションによって誤解を受けたり、人間関係を複雑にするリスクを自ら背負いこむより、同じ価値観をもつ安全な人間とだけ付き合い、それ以外の人間は拒否するのだ。
 南部八戸人も同じである。へたに外れた事を言って仲間外れになるより、コミュニケーションを拒否してまわりに同化した方が居心地がいいわけだ。今深刻な問題になっている少年犯罪やいじめ、登校拒否なども、多くの場合コミュニケーションの不成立・不完全がきっかけとなっている。

(2) 出る杭は打たれる、出ない杭は腐る、それなら、出すぎた杭となれ
 だが、それでは八戸市民には自分の意見というものはないのかと言えば、実はちゃんとある。ただし、自分という個人が特定されない閉鎖性の中では・・。これを陽のあたる所へ出そうとするとどうなるか。公の場で自分を堂々と主張する人は、本心ではそうしたいのにする勇気のない多くの八戸市民から足を引っ張られてしまうのだ。意見を述べると生意気だと言われ、反対を唱えると嫌われたと誤解され、議論すると性格がきつい、などなど、話している中身ではなく行動から人間性を勝手に判断されてしまうのだ。それを皆わかっているから、テレビの街頭インタヴュウをすると、県内で八戸が一番拒否率が高く苦労する。顔の出ない電話や紙面でなら、文句や苦情は言いたい放題なのに、である。
 こうしてみると、八戸人は案外、外で言えない分、内にだいぶ不満を溜め込んでいるように思える。自己への自信の無さ・劣等感からくるある種の嫉妬が、自己表現をする人間の足を引っ張っているのかもしれない。だから、八戸で自由に自己を主張するなら、中途半端ではなく、誰も足を引っ張る気がなくなるくらい素晴らしくて、スケールの大きな主張をするべきだ。
  つまり「出すぎた杭になれ」、とは、しがらみで思うように自己主張できずに悩んでいた私に、ある尊敬する人が言った言葉である。

(3) コミュニケーションとグローバライゼーション
 基本的に、国際化された社会とは、すなわちコミュニケーションの進んだ社会であると思っている。ひとつの事を推し進めようとすると、そこには必ず負の部分もついてくるわけで、特に国際化に関しては「外の人間」に対する日本人がもともと持つアレルギーが障害になっているのではないか。
 外圧で仕方なく規制緩和するとか、商社の人ががんばって世界のあらゆる所から安くておいしい食材を輸入する、などという目に見えない部分での国際化はよしとし、安い労働力や農家の花嫁確保など自分たちの利益になる国際化は必要としながらも、外国人の犯罪が増加しているのを国際化のせいにしてしまう。しかし、そうした負の部分は、外国人の数そのものの増加に伴うもので、それは日本人だって同じなのだ。
  カナダに留学中、学生査証更新手続きの煩雑さから、移民として永住権を申請しようとしたことがある。個人で申請する場合は非常に難しく、更に当時不況で失業率が高かった事もあり、結局断念したのだが、その時の移民審査官の言葉が印象に残っている。
  中国返還に危機感をもっていた裕福な香港からの経済移民や、政情不安や貧しい母国を脱出する手段としてカナダ人と偽装結婚し、あとはいもづる式に次々に親戚を呼び寄せるアジアからの血縁移民が優先され、結果として私のような個人申請を後ろに追いやっている、と説明した上で、「本来カナダにとって必要なのは、優秀な資質・能力をそなえた若い個人申請者であり、そちらを優先すべきなのは我々も十分承知している。だが、どんな移民でも条件に合えば受け入れる現政策を決めたのは我々なのだから、結果はともあれ移民国家としての責任は果たさなければならない。」と話した。巷では、急増するアジア移民への風当たりが強まり、移民政策の方向転換を求める声も出始める中、負の部分もきちんと受けとめる覚悟の上の移民政策に感心した。
  日本の国際化のスピードは、その覚悟ができるかどうかにかかっていると思う。好む好まざるにかかわらず、国際化の波は押し寄せている。自分たちの都合のいい部分だけを求めるなら、国際社会での日本の立場はないに等しい。
  大陸で昔から行き来があったり、新しい土地を開拓して多くの移民を受け入れてきた諸外国には、もともと「国際化」という言葉、観念自体存在しなかった。単一国家としての自覚の長い(厳密には違うけれど)日本で言うところの国際化が、国際社会では「地球化」という言葉で表わされているというだけ。
  だが、ここにきてやけに日本でも「地球化」が叫ばれ始めた背景には、地球規模の環境問題がにわかに深刻になってきた現状があると思う。大気汚染や地球温暖化現象は、たちまち世界をボーダレスにしてしまう。日本でも今頃国際化を論じていないで、地球市民としての意識をもち、世界各国と一体となって様々な問題に取り組んでいくべきだ。

(4) アートとコミュニケーションをめぐって
 コミュニケーションは何段階にも複雑に発展していく伝達手段であるけれども、アート、中でも写真は、事実を切り取った具体的な対象であるだけに、シンプルで、アートだのコミュニケーションだのが苦手なひとにも向き合いやすいと思う。絵画や彫刻等では、それぞれの解釈の違いで、まったく別のものにとられてしまうリスクがあるからだ。
  キャパ賞展の写真の数々は、撮影の技術や感性すら脇に追いやって、ひたすらむごい真実を突き付けた。「戦争はいけない」という、シンプルで誰もが納得するメッセージがあったから、八戸市民が安心して作品に向かい、感想を口にする事ができたように思う。ましてキャパ賞のように、既に世界中で評価されたというおスミ付があった事も、八戸での企画展成功の大きな要因だろう。自分の感性に自信のない日本人のブランド志向を、うまく利用できたから・・。
  現代社会におけるコミュニケーションも、同じような方向に向かいつつある。コミュニケーションの相手は、あらかじめどんな人かわかっていて安心できる人間に限られるのだ。不用意に自分を他者の評価にさらすリスクや面倒は極力避けたいのだろう。
  昔はアートもコミュニケーションも自己表現で、それをするだけでよかった。社会自体がシンプルだったので、表現すれば何がしかの反応があった。ところが、複雑・多様化した現代社会では、表現してから更に「伝える」、受けとめる側も「選びとる」プロセスが加わった。その段階も既に超え、どう「うまく伝える」か、「何を」「どう解釈するか」の感性・判断能力(メディアリタラシー)が必要になった。伝わったつもりが実は伝わっていなかった、理解されていなかった、が当然増え続け、よって現代人はコミュニケーションでストレスをため、気負う事に疲れ、癒しを求めに走ってしまった。
  この状態が落ち着いたら、これからは逆に肩の力を抜いた自己表現がアピールするようになるかもしれない。

 私たちは、そんな自己表現のひとつとして、タイムラグ展を発信する。
 「何を」「どう」とらえるか、未知なるあなたの感性が発掘されるに違いない。


(ICANOF free press 00に抄録)



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