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ルイス・W・ハインの一枚の写真/“床を磨く女”
“Scrublady” photographed by Lewis W.Hine

三浦 文恵 MIURA, Fumie(ICANOFプロデューサー)


 連休も過ぎたある五月の雨の日、アメリカから大きな茶封筒が届いた。もしかしたら・・・。中味を推測して、私は興奮を覚えた。丁寧にハサミで封を開けると、厚紙に包まれたそれは、いよいよ私の胸を高鳴らせた。幾多の困難を越え、やっと再び巡り会う事が出来たのだ。早く見たい、と急く反面、ここまでに至るやや長過ぎる年月と運命の巡り合わせを思い、しばし感慨にふけった。そして私はゆっくりと、一枚の写真を取り出した・・・。  七年前の年末年始、私は真冬のニューヨークにいた。二週間の北米での休暇を締め括る最終訪問地にニューヨークを選んだのは、世界の経済の中心と言われるめまぐるしい大都会で、人々が一番浮かれるこの時期を過ごしてみたいと思ったからだった。
 友人がとってくれたホテルは、観光ガイドには載っていないような小さい、でも安くてこぎれいな所と聞いていた。仕事で迎えに行けない、との連絡を受け、私は一人タクシー乗り場に向かった。寄って来たタクシーに乗り込むと、運転手は浅黒いインド系の顔立ちだ。ホテルの名前を告げホッと座席に寄り掛かると、彼はその場所を知らないと言う。困った私はうろ覚えの住所やら、幾つか有名スポットの名前を挙げてみるが、どうもわからない様子。
 彼の強い巻き舌から発せられる、ほとんど理解不能の英語から何とか聞き取ったのは、彼はインドから移民としてアメリカに来て、まだほんのひと月足らずだというのだ。言葉も地理もわからずよくタクシー乗ってるね、とやや皮肉を込めると、ニッと笑い彼は言った。日本人は皆同じ所に行くから、日本人だけ乗せてるとOKだ、と。そして、私もその高級ホテルへ行け、としきりに勧める。とりあえずその場所まで行ってもらい、降りて辺りを見回すと、何と偶然にも目指すホテルはその向い側にあった。
 こうして、正月を過ぎて空き始めたミッドタウンのホテルに、私は暫しの居を構えた。近くには、日本人が買収して話題になったあのロックフェラーセンターや、ティファニー等で知られる五番街、それにセントラルパークなどがあり、歩いてブラブラするのが好きな私には絶好のロケーションだ。     
 街角のあちこちに出ている屋台で、ある時はホットドッグ、ある時はよくわからない中近東風のサンドイッチなどを立ち食いしながら、氷点下の凍てつく風の中、自分の売っている食べ物で暖をとっている屋台の主に話しかけてみる。今すぐ食べるかと聞いて頷く私にナプキンの包みをもたせると、彼はその手をポケットに入れて、いい時に来たよ、と鼻をすすりながら訛りの強い英語で言葉をつないだ。年末年始の観光客は一段落し、クリスマスが過ぎてどこの店でもバーゲンセール、でも飾り付けはそのままだから、街並みはきれいでまだまだクリスマス気分さ・・・。 
 ほりの深い、アラブ系と思われるこの屋台の男性は、寒くて動かずにはいられないという風に、アラブ語と英語で書いたメニューボードの位置をせわしなく代えながら、話を続けた。カリフォルニアの大学に留学中、エジプト系アメリカ人と結婚し中退、市民権を獲得するも仕事がなく、コンピューター技師の妻の転勤で越して来たとか。物価の高い東部で暮らすには、妻の給料だけでなく、せめて自分も何かして働かなくては、と言うので、普通アラブの男性は妻を養うのでは?と尋ねると、自分の妻は優秀だし、ここはアメリカだからね、と答えが返ってきた。彼は“アメリカ”と発音する時、大げさに抑揚をつけ、いかにも楽しそうに、ゆっくりと口を動かした。
 昼は美術館巡り、夜はミュージカル観劇とアートとの接触に餓えていた私は、毎日魂の欲するままに動き回ったのだが、そこかしこで元気な日本人女性と遭遇した。彼女等は、お目当ての高級店で思い切りよく買い物に興じ、劇場では一番いい席を陣取り、プログラムを手にはしゃいでいた。男性はというと、長時間並んでやっとチケットを手に入れた人気ミュージカルの最中に、連れの女性の隣でつまらなそうに居眠りを始めたり、おいしいと評判のレストランでは、たった一人で黙々と口を動かしているのであった。
 異国の地で、まるで水を得た魚のように生き生きしている日本人女性に比べ、男性の元気のなさは一体どうしたというのだろう。いや、日本人の男性だけではない。そう言えばさっきのホットドッグスタンドの男性も、幹部に昇進した妻の転勤で西海岸から引っ越してきたけど、ニューヨークの寒さはこたえるよ、なんて言ってたっけ。
 見学を楽しみにしていたアメリカ三大ネットワークの一つ、NBCテレビの看板トークショー番組では、ホストの司会者とスタジオカメラマン以外、スタッフは全員女性であった。まだ若い女性のディレクターがきびきびとスタジオを駆け回り、インカムでカメラに指示を出すと、白髪の初老のカメラマンは無表情にアングルを変えていく。番組の合間のCM中には、アメリカでは知らない人がいない程有名な大物司会者が、女性プロデューサーのもとに駆け寄り、進行内容を逐一相談する。
 ちなみに、この日のテーマは「高齢出産」についてで、若い女性の卵子の提供を受けて出産した五十代女性のゲストの体験談や、視聴者も参加しての討論など、活発な意見??概ね肯定的な女性からの意見??で、スタジオはおおいに盛り上がった。男女双方の意見が欠かせないはずのテーマだったのだが、男たちに口をはさむ隙を与えず、女たちはしゃべり続けた。
 過激な発言も飛び交い、次第に熱くなってくるスタジオの中で、私はぼんやりと、前の日に見た一枚の写真の事を思い出していた。それは、ありふれた観光が嫌いな私が今回唯一訪れた観光名所、自由の女神像を見た後でふと立ち寄った、エリス島の移民博物館で見た、古い写真だった。
 エリス島は、アメリカへ上陸する前の大量のヨーロッパからの移民を審査・一時収容する連邦政府の施設があった所だ。1892年一月一日開設時、十五才のアイルランド人少女の移民受け入れを皮切りに、1954年に閉鎖されるまで、約一千二百万人もの移民がここからアメリカ全土に散って行った。そして今や、アメリカ全人口の四割以上、約一億人ものアメリカ人が、このエリス島に第一歩を印した移民たちの子孫なのである。まさに”アメリカ発祥の地”ともいえる歴史的なこの地は大金を投じて整備され、毎日大勢の移民がここから旅立って行った当時の資料を展示して、今は移民博物館として一般に開放されている。
 その写真は、当時の移民たちの様々な表情で埋め尽くされた写真資料室の、ほぼ出口に近い柱の側にあった。「床を磨く女」とタイトルが付いた白黒の写真の前で、私は立ち尽くした。収容所の床に座り込み、雑巾を持つ手をバケツにかけている女の後姿。写真では顔はまったく見えない。が、曲がった背が、バケツの手が、極限の疲労を、やり切れない哀しみを、物語っていた。すべてをかけてやって来た、新天地アメリカでの厳しい現実。でももう後には戻れない・・・。
 エリス島にやって来た移民のほとんどは、書類審査と身体検査に必要なほんの数時間の滞在だけで、本土への上陸を許可されたという。しかし、貨物船の船底などに押し込められ、不衛生な環境の中での数か月を経てやっと乗り込んで来た一部の貧しい移民は、伝染病への感染や栄養失調、労働契約の書類不備を理由に、しばらく島の収容所で待機せざるを得なかった。これら移民が辛い思いをしたとの記録はどこにも残っていないのだが、ではなぜエリス島は”涙の島”と呼ばれていたのだろう・・・。
あれから200年以上が過ぎ、数えきれない移民と女の犠牲の歴史に思いをはせながら機上の人となった私の隣に、赤ん坊を抱いた男性が座った。出張中のビジネスマンといったいでたちで、仕事なのか書類に目を通そうとするが、その度に赤ん坊がむずかり、うんざりした顔でなだめている。どうやら母親は一緒ではないらしい。気の毒に思いながら見ていると、ややぶっきらぼうに機内食が差し出され、顔を上げると、男性の客室乗務員がにっこりほほ笑んだ。
「お飲み物は何になさいますか?」

 七年という年月は、思った以上に、人の感性を変えるのに十分な時間だったかもしれない。時を経て、日本の自分の部屋で再会した「床を磨く女」には、七年前にずしりと胸にきた重いまでの悲壮感は、なかった。果たしてこの写真はあの時と同じ物だろうか、と自信がもてなくなった程、全体から受ける印象は違っていた。
 てっきり後姿だとばかり思っていたのが、実は不自然に曲がった正面像であった。雑巾を持つ手をバケツで支えなければならない位疲れていた、と感じたのに、雑巾をつかんだ手は床にあり、へたりこんでバケツに手をかけた様子には、怠惰な感すら漂っていた。そして、収容所の中だと決めつけていた撮影場所は、後ろのドアの表記から、どうやら保険会社の事務所のようなのだ。
 とすると、かの「床を磨く女」は、民間会社の建物を掃除して歩く掃除婦だったのか。幸せそうな状況でないのは確かだが、もはやしたたかそうに見える彼女は、もしかしたら自分の仕事を怠けて座り込んでいたのだろうか。そして、移民や労働者の表情を正面から撮ってきた社会派の写真家、ルイス・ハインにしては珍しいと言われる顔のない写真は、彼がこの掃除婦にカメラを向けた時、彼女が大きく体をねじ曲げて抵抗したために産まれたのだろうか・・・。
 いつかまた私は、エリス島の移民博物館に行くだろう。その何年後かの私は「床を磨く女」の前で、何を思うのだろうか。


("ICANOF Media Art Show 2001"より転載)



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