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デュラスは柵越しに

岡村民夫 OKAMURA, Tamio(Critic/Professor at Hosei University)




  Parc de Boulogne Edmond de Rothschild ?
 パリの貸し間で『デュラス、映画を語る』を訳していた2003年3月のある日、郊外の地図を眺めていてこの公園名に目がとまった。もしかするとここに……。数日後、メトロ7番線ブーローニュ・ポン・ド・サン=クルー駅で降りて住宅街を歩くこと二十分あまり、訪問を数年来希ってきた「カルカッタのフランス大使館」のもとに私はたどりついた。ただし、「危険・立ち入り禁止」という掲示板のある鉄柵が建物の四方を囲んでいたので、庭園をうろつくほかなかった。アンヌ=マリー・ストレッテルから大使館にとどまることを許されず、排除されたラホールの副領事のように。
 ブーローニュの森とセーヌ河に挟まれた地所を購入したロスチャイルド家の住居として1861年に竣工された古典様式のシャトー。1940年5月、五代目所有者がイギリスへ亡命し、同年7月から44年8月までナチスの一部隊がこれを占拠した。パリ解放後、アメリカ軍施設や帰還民収容施設として利用されたりしたものの、66年以降シャトーは放置されつづけた。このような数奇な来歴を念頭におきつつ、マルグリット・デュラスは荒廃した建物と庭園を「カルカッタのフランス大使館」に見立て、77年に『インディア・ソング』を、76年に『ヴェネツィア時代の彼女の名前』を撮影したわけだ。いまや廃墟化はさらに進行している。右翼棟の屋根が崩落していて、まるで後者の続編を観ているかのようだ……。



 そう思う一方で、私はあたりが意外と明るい世俗的な場所である事実にとまどってもいた。ノルマンディのトゥルーヴィルの海岸にレ・ロシュ・ノワール館 (世紀末にプルーストがヴァカンスの常宿とした元グランド・ホテルで、1963年以降その一室にデュラスが住んだ)を見いだしたときも、同じような印象を覚えたものだ。『ガンジスの女』(72-73)が撮られたのは、レ・ロシュ・ノワール館とその周辺である。そもそも、ふたつの建物の外観のなんと似かよっていることか。
 インド三部作は、外国ロケどころかセット撮影すらされておらず、監督自身にとって身近な場所でロケされた作品群だが、それがデュラス映画のラディカルな決定的転回となっていることは意味深長である。そこには、低予算という制約を逆手にとった戦略がうかがわれる。物語上の場所と撮影場所の不自然なずれが、イメージ・トラックとサウンド・トラックのずれに連動され、作品の骨格を構成しているのだから。



 ガンジス河のデルタとノルマンディの海岸を強引に折重ねる『ガンジスの女』において、対話するオフの声(物語中に登場しない人物たちによる物語をめぐる質疑応答)が導入される。『インディア・ソング』では、さらに特異な、映画史上未曾有の対話がそれに加わる。人物どうしがフレ−ム内で言葉を交わしているにもかかわらず、彼らの口元は閉じたままにとどまる。俳優は、録音された自分自身の声を聴きながら沈黙劇を演じたという。人間文楽?
 出版されたシナリオには、オフの声の対話にかんする自註が記されている。『インディア・ソング』が書かれたのは「『ガンジスの女』で暴露と探究の方法を、すなわち物語の外にある声を発見したからだ。この発見により、忘却のなかで物語を揺動させ、それを作家の記憶以外の複数の記憶にゆだねることが可能となった。いかなる他のラヴ・ストーリーをも並行して想起しえる記憶に。変形し、創造する記憶に」と。唇を開かない対話にかんしては、『デュラス、映画を語る』(拙訳、みすず書房)にこうある、「それは、ひとびとが空しく現在にとどまろうとつとめている多くの充血した映画から、私たちが抜け出るのにとても役立った」。
 人物にせよ風景にせよ、物語をじゅうぶん表象しない<忘却の映像>は、言葉と記憶に大きな余地を開く。と同時に、それは、言葉と記憶からも、充血した自己同一性・人称性をも奪い去る。映像と音声は、埋めがたい懸隔をとおして、ともに表象の体制から解き放たれ、従属や確定とは異なった流動的関係を織りなす。声たちが想起し俳優が演ずる1937年のカルカッタの物語は、観客ひとりひとりの過去をも、シャトー・ロスチャイルドの過去をも追い払うことがない。ただ、相互の隙間に、同定できず、表象できず、現前できない第三の不思議な時空が生まれるのだ。そして、それは風景の背後へ分身のようにしのびこむと、その色調を一変させてしまうだろう。



 「彼女 [アンヌ=マリー・ストレッテルのモデルになった女性]を間近に見たことは一度もない。いつも庭園の柵越しとか、行政管理局のサロンのなかで催される祝宴のおりに見たの 」(拙訳前掲書)。柵の介在は、どうやら好運なことだったらしい。
(03年10月)

(図録"ICANOF Media Art Show 2004"より転載)



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