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【 ICANOF アーカイヴ 】
- ICANOF Archive Materials -



世界中の子供達は「カラの皿」を目指して今しも旅の途上にある
( 02年度ICANOF企画展「食間の光景/食間の廃景展」コロック:
03年2月16日/八戸市美術館)

出席/ミロスワフ・バウカ(美術家) パク・ファヨン(美術家)
加須屋明子(国立国際美術館学芸員) 豊島重之(ICANOFキュレーター)
通訳/三浦文恵(ICANOFプロデューサー) 花田喜隆(ICANOFアートディレクター)



(6)M・バウカの「カラの皿=飢えの歴史」は未来への警告である
豊島  有難うございました。客席から何かご質問は?
半田晴子  コンピュータが普及する以前は、映像を作る方はもっぱら8ミリカメラを背負ってあちこち撮り歩いていたと思います。一方、パクさんのようにコンピュータを使って作品を作ってらっしゃる方は、カメラを覗いている時間とモニターを覗いている時間があると思います。カメラを覗いている時の視点と、モニターを覗いている時の視点、どちらがパクさんにとって大切な視点なのでしょうか?
パク  普段は撮影の方に時間をかけます。最近はデジタル・ヴィデオを沢山使います、画質もフィルム並みですし。実は今回お見せしているのが、私の作品の中で最も特殊効果を使っているものなんです。コンピュータを使っているのは、単に安上がりだからです。私の場合、編集と言ってもカット&ペーストを繰り返すだけですから、フィルム同然ですし。でも、一人で製作が出来るんですね。撮影したり、録音したり、編集したり、演技したり、コンピュータを使えば何人分もの仕事を一人で出来るんです。
質問者1  空っぽの皿を準備するというポーランドの習慣ですが、日本でもかつて、お盆などには、自分の先祖に供え物をするのと同時に無縁仏にも供え物をした事を思い出しました。もう一つの皿が、無縁仏に供える慈愛の心と通じるものがあると思いました。ところで、ホロコーストから生還したイタリアの医者が、ドイツで表現活動の後に自殺した事について、バウカさんはどのようにお考えですか?
バウカ  プリーモ・レーヴィの事ですか? 彼は有名な作家で、晩年に自殺しました。でも、どう言ったらいいか分かりません。自殺は非常に個人的な決断ですから、私には意見を述べる事はできません。
豊島  一言だけ補足したいのですが、無縁仏への一般化は大変危険な事だと思います。私はあの皿を、もう一つの empty plate を、殆ど達成できないかも知れない希望として、即ち、誰一人として皿には辿り着かないかも知れない絶望として述べたのであって。しかしそれこそがアートの課題であり、それを私達は先程、バウカさんの言葉から、ズシリと重く学んだと思うんです。
加須屋  1階のお皿の事ですが、歴史の空白を示していると思います。「歴史=飢え hunger」であり、その歴史が、あたかも意志をもって歴史にとっての悲劇を求め、それを食べようとしている。そういう非常に危険な歴史がまた繰り返されようとしているのではないかという警告の意味も、そこにはあるのかも知れません。ですから、あまり慈愛の方にばかり持っていくのは、色々な見方があって勿論よいのですが、その中に危険な部分もあるのだという処を見落としてはいけないと思います。

(7)「平穏な日常」にこそ「9.11. テロと対テロ戦争」の野蛮が潜んでいる
質問者2  パクさんの作品に関して、普通、首が取れたりすると気持ちが悪いというイメージがあるのですが、全然そうではなしに、より抽象化されたイメージが伝わってくる。それについては?
パク

パク・ファヨン作品「Everything Okay?」
(八戸市美術館・2003年)

 おっしゃる通り、あの作品では非常にドライに見えるようにしてあります。情緒的なものを加えていない。つまり、作品のタイトル「Everthing Okay ? 」、日本語で「Genki ? 」ですが。大丈夫なフリをしているのじゃなくて、首がなくなったのは分かっていても、そのまま進んでいくんですね。
 ある日、母が「元気?」って実際に電話を掛けてきたんです。つまり、前の日に見た夢の中で、私の目玉がとれたと。私は元気ですと言ったんだけど、実は元気じゃないかも知れない。お母さんの夢の中では目だけだったんだけど、実は手もないかも知れない、頭もないかも知れない。
 元気なように暮らしているんだけど、人間としての在り方が危機に晒されていても、全てが順調に見えて、全てが平和に見えているかも知れない。でも、NYの世界貿易センターの爆破だけが、暴力的で残酷な出来事じゃないんですね。日々の生活のちょっとした部分に、野蛮な事や残酷な事があるんです。でも私達は、元気で生きていくんですね、元気のフリじゃなくてね。
加須屋 補足的にちょっと作品の事にも触れますと、全部巧く行ってるように見え、非常に素晴らしく見えたとしても、普通の日常の中に入り込むような暴力的な事柄とか、非常に危険な動きとか、落とし穴がいくらでもある可能性があるし、実際に色んな事が起こっている。それでもOKと言ってそのまま進んで行くようなものが、今の私達の現実、この社会での生き方なんだという事です。
パク ヴィデオの中で私は、ソウルの郊外を歩きながら、空き缶や割れたガラスといった役に立たなくなった小さな物を拾います。こうした物たちは口がきけるようにも生命があるようにも見えません。でも、「ぎざぎざ= jaggedness」があって、何かの怒りを秘めているんです。ストロベリー・ジャムは赤くて可愛らしくて、とても甘くて、どうしたって危ないようには見えません。ただ何となく指を入れてみたりもするでしょう。でもジャムの立場になってみれば、ほら、指を食いちぎりたくなるんですね。

(8)写真と映画/食間のリトルネッロ
亀本光弘 パクさんの作品には、写真と映像という二つのタイプがありますが、写真のように静止したイメージを作る場合と、動きのある作品の場合とで、モティヴェーションに違いはありますか?
パク タイム・ベースの、時間に沿って進行する、メディアの方が好きですね。写真のエッセンスは好きですけど、スティル写真は殆ど撮りません。クリス・マルケルの映画『ラ・ジュテ』を見た事はありませんか? 静止イメージが次々と現れる作品ですが、これもタイム・ベースですね。
 先程の小沼純一さんの御講演にもあった音楽もタイム・ベースです。後ろにある作品も初めはスティル写真として撮ったわけではありません。このジャムの画像はスティルですが、でも一緒にやるパフォーマンスの事を考えていましたので、これもタイム・ベースと言えます。
豊島 食がスティル= stillで、食間がタイム・ベースいわば持続= durationなのか、それともその逆なのか、よく考えてみなくてはなりませんが、そろそろお時間です。〔客席に向かって〕小沼さん、「リトルネッロ」って日本語で何て言うんでしょうか? あ、訳さない(笑)?
小沼純一 訳さないですけど。まぁ一種の「繰り返し」とか、「戻ってくる」という意味で。
豊島 「食間のリトルネッロ」のようにして、2001年9月の「タイムラグ・ラグタイム展」から始まって、この「Between meals show」を私達ICANOFがスタートさせる事ができました。私達の日常も歴史も、反復するから定型を求めてしまうのか、既に定型があるから反復せざるを得ないのか。いずれにしろ、これは次に繋がる大切なリトルネッロになると思います。ワルシャワからいらしたミロスワフ・バウカさん、ソウルからいらしたパク・ファヨンさん、大阪からいらした加須屋明子さん、本日ここで「音楽と衰弱」の御講演をなさった小沼純一さん、昨日、天聖寺で「キュウリとカッパ」の、これも同じく皿のお話でしたね、その御講演をなさった川端隆之さん、そして本日御来場の皆様に御礼申し上げます(拍手)。
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(図録"ICANOF Media Art Show 2004"より転載)



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