HOME
EXHIBITION
GEIDAI
EVENT
ARCHIVE
PUBLICATION BBS
LINK














                                                                     


HOME/新着情報
メディアアートショウ
八戸芸術大学
イヴェント情報
ICANOFアーカイヴ
ICANOFの刊行物
BBS
リンク

ICANOFの図録・写真集
・ICANOF Media Art Show 2004
・ICANOF Media Art Show 2002-03
・ICANOF Media Art Show 2001

icanof banner ■ICANOF代表
  米内安芸
■プロデューサー
  三浦文恵
■キュレーター
  豊島重之

www.hi-net.ne.jp/icanof/
mail:icanof@hi-net.ne.jp

■ICANOF事務局
青森県八戸市古常泉下14-18
〒031-0022
Tel 090-2998-0224(高沢)
Fax 0178-45-9247
mail:icanof@hi-net.ne.jp
【 ICANOF アーカイヴ 】
- ICANOF Archive Materials -



風景をハグ(剥ぐ・接ぐ)(L)ANDSC(R)APE/(EX)FOLIATE 〜 II
(03年9月7日/国際交流基金フォーラム(溜池山王)/に加筆校正)

出席/太田省吾(演出家・劇作家)
八角聡仁(批評家)
豊島重之(ICANOFキュレーター)



(1)風景を存立せしめるVOID/風景から外れていくvoid
豊島


©YOSHIDA Tohru

 お隣りが太田省吾さん、そして八角聡仁さんです。「風景をハグ」という同じテーマで、昨日ここで、菅木志雄さんと倉石信乃さんによるコロックTを終えています。今日も同じテーマですが、顔ぶれが違うと、話の展開も違ってくるだろうと期待しています。昨日と同様に、先程の上演「イタドリ」からそのイタドリという雑草を「周囲なるもの」と看做して、前半は、周囲論的なパラダイムにおける風景論を主題に、そして後半は、その上演テクストとなった倉石さんの「声と文」つまり「文のコンピレーションcompilation=編纂」をめぐって、お二人からお話を伺って参ります。
 一口に言えば、風景を剥ぐと何が立ち現われてくるのか、ヴォイド=空虚なのか、それともリアルなものなのか、といった問題系。voidと言うと、空虚=消失点を中心にして形成される知の遠近法、つまりは権力空間をイメージしがちですが。その一方で、ごくありふれたvoidというか、権力空間の外れの外れにあって、管制下に置く気にさえならない、ただただ無意味なvoidというのもあって、それを「周囲なるもの」と、ひとまず呼んでおこうという事です。
 色んな風景論があったと思うんですが、言文一致の脈絡で内面化の装置であるとか、単にイメージ捕獲装置であるとか。或いは、風景を剥げば「隠蔽された政治性」が露呈する、いや、そもそも「政治性」を剥ぎ取ったのが風景なんだ、とかですね。その手の風景論は、既に皆さん御存知だと思うので、ここでは踏み込まないようにしたい。そうではなく、先程の上演テクストにあったように「ピンボケの写真は人間の映像と言えるんだろうか」とか、「どこかその辺に立っていろという命題は成立するんだろうか」という、後期ヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」に類する周囲論的な脈絡に引き寄せて、如何でしょう、八角さん、風景をハグというテーマに最初の切り口というか、刻みを付けて下さいませんか。

(2)表象以前の直接性/リアルなものをめぐる「風景論の顛末」
八角  豊島さんが仰ったように、風景論と称する言説が流行った時期があって、1970年前後にある種の権力論と交差するような形で出てきたわけです。なぜその頃に「風景」が語られたかと言うと、一つはきわめて具体的な理由で、高度経済成長に伴って日本中が急速に都市化していった結果、どこに行っても風景が均質化していくという現実があった。まさにその、のっぺりとした同じような風景こそが資本主義の論理の下で進んでいく「近代化」の権力の産物だという事ですね。
 さらにそれが「風景」として主題化されるのは、メディアの発達と都市空間の再編成の中で情報の産出と伝達が親密性や直接性の次元をはるかに超えていく事によって、現実が自己から隔たった「風景」として現れてくる。社会的な現実と自己意識との繋がりが失われてしまうわけです。そこで、その「風景」をどう拒絶するか、否定するか、そしてどう「現実」を奪還するかという事が当時盛んに語られた。
 演劇の文脈で言えば、それはプロセニアム・アーチに枠どられた「風景」としての演劇を否定するという事ですね。観客と舞台、主体と客体の関係を制度化してしまう劇場空間の「風景」に対して、その安定した距離を拒絶して身体的な共生関係の場を作り出したり、市街に出て行って観客を芝居に参加させようとした。それも当時の風景論、風景批判にある程度対応していると思います。
 いわば風景論というのは、ある種の表象批判のようなものを含んでいまして、社会的にも表象=代行のシステムが十全に機能しなくなってきた時に、そのシステムそのものを否定して、表象以前の直接的な現実へと向かうという側面があったわけです。風景をハグという言い方はしていなかったと思いますが、風景を切り裂いたり、風景に向かって身を投じたりする事によって、風景になる以前の現実がそこに現れるはずだと。
 寺山修司なんかでもパリの五月革命を引いて「石畳の下の砂浜」というような事を言ったわけですが、都市の敷石を引き剥がせばそこに砂浜が出現するという物言いがとりあえずは信じられた。ところが、そこで見出されたはずの砂浜もまた別の「風景」でしかなかったというのが、風景論の顛末であったと言えるかも知れません。
 それでは、風景の否定自体が風景になってしまうという悪循環をどうやって脱すればいいのか。そこで豊島さんは「周囲なるもの」を持ち出されたのかも知れません。「周囲」というのを「中心」と二元論的に捉えてしまうと、これも当時、流行った文化人類学的な図式ですが、周縁は中心を活性化する事で中心に取り込まれてしまうわけで、相互補完的なものにしかならない。中心に対する周縁ではない「周囲なるもの」をどこにどんな風に見出せるのか、というのが、おそらく「風景を剥ぐ、接ぐ」という事をめぐる問題の所在のような気がします。
(1 out of 6)  >> read more


(図録"ICANOF Media Art Show 2004"より転載)



Copyright © 2001-10  ICANOF  All rights reserved