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吉増剛造インタヴュウ
「ポラロイド(写真)とマルジノイド(刻字)」
Polaroid photographs and Marginoid inscription

吉増剛造 YOSHIMASU, Gozo (Poet)
聞き手 豊島重之(ICANOFキュレーター)


(1)割註(わりちゅう)の闘いが毛深いところへ入っていく
豊島  私は、死にかけたメディアというか、8ミリ・フィルムとかガリ版とかソノ・シートとか、そういう死にゆくメディアに興味があるんですけど、ポラロイドもそのひとつで、とくに最近、デジカメに市場を奪われてアメリカのポラロイド社も風前の灯らしい。そこで、吉増さんが今なぜポラロイドなのか、あるいはポラロイドに取り組むことになった契機など、お尋きしてみたいと思うんです。
吉増  “死にかけたメディア”というのは、面白いですね。そう聞くととてもよく判ります。僕も、虫にそういうヤツがいますね、飛んで来るものをじっと待ってて、ペロッと食べるようなヤツ、・・・。ああいう感じでしょうか。自分から選んでいくほうではなくて、何か指示を受けて、それから作動してゆくタイプでしょうね。おそらく無意識のうちに、そういう何も浮かばない状態で遅れて受けたほうが、感光体としてはいいだろう、という無意識が動いているんですね。
 このケースも、あいつにポラロイドを撮らして展覧会やったら面白いんじゃないかって着想した方(木本禎一さんと桜井裕子さん)がいらっしゃって、それがアサヒグラフにまで話が行っちゃったケース。最初、桜井裕子さんがカメラを持って説明に来てくれた時、ポラロイドの裏の黒地が、これはつるつるだな、まずそれに気づいて。このつるつるに描くにはエナメルで描くしかない。その最初の筆触が、もちろん筆とも違う、インクとも違う、ボールペンのさらに進化したような、女の人のマニュキュアを塗るようにして字を書く、そういう感触でしょ? その最初の筆ざわりの新鮮さが、その時、瞬間、働いて、そこから始まっていったという経緯がありました。
 銅板を十数年打ってきていて、表にしたり裏にしたりして打ってるでしょ、その影響がここにも出てきてる、それにも気がついていました。銅板は、裏からも打たないとオブジェとして成立しないんです。長い時間をかけて裏からも打ってるものだから、もう、裏返すっていう手付きが身についていて、文字面を裏返すということが、このポラロイドにも出てきてたんですね。
 このつるつるの黒地にぎっしり書くのは、割註(わりちゅう)の闘いの変幻ですが、ぎっしり書くと四百字詰め一枚ぐらい。普通、僕、縦書き派なので、縦書きにするかと思ったら、その滑べりのよさと、何ともいえない力が働いて、ポラロイドを僕、やっぱり東洋のものと思ってないからでしょうね、しぜんに横書きになりましたね。このつるつるは、いわば黒板でしょう。黒板だったら縦に書くところだけれども、こう、横につるつるって書いていく。そうすると、イメージの中の黒板の、あの硬い、カチカチ音のする感じは完全に破られて、柔らかく音もなく、つるつるつるって行くわけですよ。だから、潜在意識の中にある黒板の呪縛力っていうのは、それで一瞬にして突破されたという、それがある新鮮さをもたらしましたね。
しかも、エナメルは修正が大変ですから、ゆっくり慎重に書いて大体15分か20分で書き終える。それぐらいの時間の短さだと、瞑想ができるの。瞑想ができると、これ自体が大きな割註のブロックだから、そういう毛深いところへスッと入っていけるんですよ。
豊島  ポラロイドという言葉は、ポーラーのオイド、強いていえば、極光類似体といったところでしょうか。オイドの例として、分裂病に似たタイプをシゾイド、神経症に類したタイプをニューロイド、あるいは、ボーダーライン・ケース即ち「境界例」そのものではないが、その周辺に位置するタイプをボーダロイド、まあ、これは私が勝手にそう呼んでるだけなんですけど。というのは、吉増さんのポラロイド作品を見せてもらって、まず驚かされたのは、画像と余白の両方にまたがってタイトルらしき一文が書かれている。完全にマージンつまり余白に書いているわけでもないし、絵柄の中に字幕のように配されているわけでもない。これはマルジノイド、つまり辺縁体じゃないかと思ったんですね。裏が割註だと言われて、なるほどと思いまして、それなら表は割り字というか、画像と余白によって二つに割られたタイトルだったのかなと。
吉増  昔から僕は、絵を描いているときに、隈(くま)どりをするという妙な癖がありましてね。いろんなものを描いて、それに縁どりをする、隈(くま)をつけていく性質があった。それに僕は基地の子ですから、フェンスや金網がいつも気になっているんでしょうね。写真を撮るのもそうですが、境界線というものをいつも意識させられていたし、常に、始まりの始まり、みたいなところを意識しつつ、隈どりや縁(ふち)を自覚していたんですね。ですから、境界線に文字を書こう、というのは割合過不足なく両側にまたがって出てきた。境界線をまたぐ瞬間というか、境界線にまたがれる瞬間というのを、自分の創造の一番のポイントにしていこうという気持ちがあるからでしょうね。
 40年ぐらい文字を書いてきて、原稿用紙の欄の外へ、枠ぎりぎりのところへ、出たり入ったりを繰り返してきたせいもあります。隈どりと境界線の意識、そこで一番純粋な力が出てくるのは、「はみだす」時だと知っていて、そのことがあって、割合、抵抗感なく、スッと出てきていますね。それにしても、豊島重之氏のいうマルジノイド/辺縁体は面白い。咄嗟に八戸とか二戸の“戸”の空気が立って来ますね、・・・・。

(2)カティーナ・ドールは秘仏(ひぶつ)なき前仏(まえぶつ)のようだ
豊島  吉増さんのポラロイドに、あたかもそれがポラロイドである証しのように、常に登場してくるカティーナ・ドールについてなんですが。カティーナというのは、この木の、木彫のモクの名前なんでしょうか。ひょっとしたら、向こうのネイティヴの言葉で、形代(かたしろ)とか依代(よりしろ)とか、何かそういう呪術的な意味合いでもあるんでしょうか。
吉増  語源を一回聞いたことがあるんですけどね。二、三日後にアリゾナ行きますから、調べて聞いてみます。今、うろ覚えで、記憶を探ると、ホピやスーやナヴァホや、この人たちの持っている、主に木で作られたカタシロのような、世界が滅びる時に助けに来てくれるっていうお人形です。カティーナ・ドールっていうのはその当時、あの辺、メキシコ領になった時期があったから、スペイン語がかぶっているような気がします。ドールっていうのは英語ですから、カティーナ・ドールっていう風に名づけられたのは、それを見る外部の人の目からでしょう。
 アメリカの西の砂漠へ行くようになってだいぶ経ちますが、西海岸のあたりはロサンゼルスもメキシコ領だった時期がありますでしょ。スペイン語がかぶっていて、その下に、アメリカ・インディアンの層があって、だから第一層で、スペイン語の層にぶつかっている。それから、詩もそうなんですよ。あの辺行って書いた詩が、やっぱりスペイン語の層にぶつかっていて、「ロサンヘレス」という詩も、あれも、書いていながらスペイン語の層(と、それに青森)にぶつかって、しかも、ついでにエルグレコのところまで辿りつくような。あるいは、その層を突きぬけないで、その辺をもう一回こう、迷路を作っていくような。そういう意味で、カティーナ・ドールのその辺にこだわってみるのも面白い。これを、知識的に突きぬけると、アンドレ・ブルトンとかシュールレアリスムとか、横道にそれてメキシコの方へ行って、ブルトンが行ったような、あるいはアルトーが行ったような、そっちへ枝分かれしていくような地図も描けるかもしれませんね。
豊島  どのポラロイドでも、手前にカティーナ・ドールがいて、いわばカティーナ・ドールの目で世界を見ていく、そういう姿になっていますよね。つまり、吉増さんが主体を託していく目線が、単にカメラという機械の目線じゃなくて、カティーナ・ドールの木目(もくめ)と言いますか、木でできた目線を重ね合わせたものとなっている。しかも、その人形の姿はほとんどブレたりボケたり、黒い影だけになっていたり、変幻自在というか、あるいは痛めつけられているようにも見える。二重撮りの写真の時には見られなかった、こういう異者のまなざしがポラロイドに出現してきていて、少なからずびっくりしたんですけど。
吉増  あれはポラロイドだからでしょうか。撮影の現場でポラロイドカメラっていうのは、普通の写真機と違って、前面に土地が出来るような、変な感覚がありますね。前にズルッと出ていくんですよ。なんか、前方延長力みたいなものがあって、おそらく、それに誘われて、もう片一方の手に、指にカティーナ・ドールを載せて、またそれじゃないと作品が成り立たないっていう意識もありましたけど。その前方に普通の写真には現れない土地っていうか、ランドをつくるようなね。そういう意識があって、それで最初はファイヤー・ボーイ、一つだけを立ててたんです。もちろんそこには、境界線を立てる、あるいはカティーナ・ドールの目線で撮る、いくつかの考えがありました。普通のカメラだと射撃性があって、目に見えないスピードと、なにか怖いものがあって撮るでしょう? で、その空間は目に見えないけれども、ポラロイドですとね、ベロみたいにグシャーンと出ていくんですよ。板が、舞台が出てくるような、そういう不思議な迫(せ)りだしになる物理性があるの。それがあったからこそ、あの人形、木偶(でく)が立てられた。それから僕、子供の時から文楽をみて育ってますからね。理想の演劇として、文楽みたいなものをどこかで、いつも考えています。
 それと、写真と出逢ったときの驚異のひとつ、マグネシュウムだな。片手で、あの変なマグネシュウムの“ボッ”を捧げてる人の姿を、無意識に真似ていますね。片手が、手が、・・・・。
 だから木偶を立てるってことは、・・・、この間、西国88ヶ所霊場巡りに出て、面白い経験をしました。秘仏(ひぶつ)がずいぶんあるんですよ。秘仏があるところには必ず、秘仏の代わりに前仏(まえぶつ)っていうのが立ってるの。ダミーが立っているんですね。前仏っていう、この言い方がすごく面白くてね。中は何も無くてもかまわない。それが面白くて、ああ、俺も、カティーナ・ドールをこうやって支えるのも、一種の前仏感覚であって。前仏を通じてじゃないと宇宙は見られないし、前仏があれば宇宙はなくてもいいとか、そういうところへ思考がいきました。だから、カティーナ・ドールの立て方っていうのは、前面性、前面ランド性、舞台性、木偶性、迫りだし性、そして前仏、そういうのが重なってますね。そこまでいくと、写真のことはもうどうでもよくて。ないのかもしれないんですよ、本当は秘仏なんか。
豊島  立川でレクチュアなさった時も「お店」(吉増さんのターム)をひろげて、カメラや銅板と一緒に、きまってカティーナ・ドールが並んでいました。つまり、カティーナに見守られながら、お話が切り出されていく。とくにこの写真なんかそうですけど、カティーナの輪郭がぼやけて、時として、高速で微細に振戦してるんじゃないかって気がして、そこがすごく効いている。
吉増  カティーナ・ドールの髪の毛っていうのは、稲妻をシンボライズしてるんですね。天空観、宇宙観があるんですよ。その稲妻の色であるから、それを知っているから、それをボカして色で使ってもいいんだっていうのは、いつもどこかにあって。
豊島  その稲妻というのは、どこかポラロイドのポーラーの極光と重なりますね。
吉増  稲光はあちこちに出てきますよ、分からないようにですけど。だから豊島さんのお目に留まったのも、この色のバランスなんでしょうね。アリゾナの砂漠では5月末から6月にかけて、年に一回、サボテンの花が咲くんですよ。このサボテンの花を撮しながら、あるいはこれを気にしながら、アメリカ大陸をみていくとね、全然違う大陸、大陸というか、宇宙観がみえてくる。
豊島  サボテンの異名は覇王樹・仙人掌ですから、まさしく宇宙観であって、しかもそれは白い花なんですよね。吉増さんの詩に「僕の死後のしろい花」というのがあって、確かにそこには、サボテンの白い花から見返されたコスモロジーがあると思うんですよ。その白に対してこっちは黄色、髪ふり乱した金色の稲妻。なんか凄まじい配色なんですけど、このカティーナ・ドールとファイヤーボーイ、これ、対になってるんでしょうか。
吉増  大きな変わり目だったような気がしますね。これは自分の人生のことなのかなぁ、一人じゃ寂しいって思ったのかなぁ。相棒が出てきて、マザークロウっていうのが出てきて、母なる大いなるカラス。これ、いくつも買ってる安いおみやげ用のカティーナ・ドールですよ。その中から、一人だけ選ばれて巡礼に参加した、そこが変わり目だったんでしょう。これはアサヒグラフの第一回目かな、文章にしてますね、「ここからお母さんに来てもらうよ」って。そして、書いた後で気がついた。このお人形の裏に、鉛筆書きでファイヤーボーイとあった。同じ作家が作ったものでした。サンフランシスコのどっかに住んでいるアメリカインディアンの女の人です。もう一人じゃ寂しくて、二人になって、この辺からちょっと「ポラロイドダイアリーの人生」が曲がり角にきていましたね。
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(図録 "ICANOF Media Art Show 2001" より転載)



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