ICANOF図録=露口啓二写真集・09年新刊

〈序文-1〉
露口啓二〈ミズノチズの新たなる射程〉への往信



歓待する側が、歓待される側にもまして歓待の美味に浸るなんて、あっていいものでしょうか。去る5月24日のICANOF八戸芸術大学市民公開講座。その場を晴れやかに魅了してやまぬ、終始穏やかな露口さんならではの「歓待のかんばせ」に、深く撃たれた者であればあるほど。八戸市内はもとより青森県内、東京方面からの顔ぶれもふくめて、予想をはるかにうわまわる満場の、しかも内容的に踏みこんだ質疑応答の数々、終了予定時間を忘れてしまうほどの盛会。ひとえに露口さんの写真に内旋する歩行感覚と、そこから外旋してくる思索的応接と、厳しく選び抜かれた発言の数々によるものでしょう。このことは必ずや、来たる9月18日からのICANOF展示にも引き継がれないわけにはいきません。


2001年9月、写真家港千尋さんのCD- ROM映像展示や詩人吉増剛造さんのポラロイド/銅板ワーショップをメインにICANOF第一回企画展が開催され、当時、横浜美術館学芸員だった倉石信乃さんによる写真家ロバート・フランク論のレクチュアとともに、ほとんど国内初のフランクによる映画も上映され、一躍、ICANOFの名を不動のものとしたのが、つい昨日のことのようです。まもなくその倉石さんから札幌の写真家露口啓二の名を聞かされ、遠からずその写真や御本人に遭遇するだろうと漠然と思っておりましたが、ようやく昨夏に札幌で露口さんにお目にかかり、二晩酌み交わすことが叶ったという次第です。

昨秋には八戸市美術館で開催された伊藤二子さん個展に合わせて、今度は露口さんが八戸を訪れ、二子さんやICANOFメンバーをまじえて二晩酌み交わし、さらに2009年1月、青森県立美術館で開催された「小島一郎 —北を撮る—展」オープニングトークに、露口さんとともに私も講師として招かれ、青森で二晩酌み交わせたのも幸運でした。ついで3月にはシモキタ撮影を兼ねて八戸を再訪、そして5月の再々訪、お互いの写真的戦意とその射程を深めあうには最小限、必要なメム=泉池・伏流水だったのかもしれませんね。


露口さんが『ミズノチズ』連作からスタートしたように、私もまた私にとっての〈ミズノチズ〉を起動させなくてはならないと思うようになりました。それが、昨年末から断続的に書き起こし、この7月にようやく擱筆した『二歩と二風のサーガ』です。(10月に論創社から刊行されるコロノス芸術叢書「アートポリティクス」に掲載されます。)前信で慌ただしく添付した初稿「非道と〈非-道〉のビオポリティーク —北海道写真とカイラギの系譜」を改稿しつつ改題したものです。ここでわざわざ初稿のタイトルを記すのは、そこに拙稿の主題が包み隠さず点滴されているからです。

北海道と写真、その両者における非道と〈非-道〉、それが二歩=ニフと二風=ニプです。また、北カイ道と海賊衆=カイラギ、その近代と現在をめぐる二歩でもあり、私のほうから露口さんのいるほうへ歩を進めていく途上にクロスする二風でもあります。あらかじめ露口さんに御笑覧を願うのは、そのためです。なにしろ学童期の修学旅行と昨夏以外、足を運んだことのない者に、そもそも北海道に住んでいるわけではない者に、いくばくか北海道をめぐって記述する資格があるでしょうか。資格どころか、瑣末な誤記や誤読、書き継ぐことにまつわる盲目性もまた避けがたく、またしてもルール違反の二歩の手を打ってしまいそうになります。


露口さんは御存知でしたか、写真を中国語圏では「照相=ジャオシン」ということを。この「照=ジャオ」はドイツ語圏の「観=シャオ(Schau)」と同音であり、シャオビューネなら劇場を意味します。辞書には展示一般のほか、眺めのよい景観でもあり、転じて世界認識をもたらす観点・見地をもさす、とあります。要するに、観る主体の一等席が「観」なのです。ところが「照」はその対極にある。観ることを切り裂いて、どこからともなく照り返してくる「反劇場・反展示・反世界観」。観照という悟達を意味する一語を顧みるまでもなく、「観」を厳しく戒めるものとして「照」が作動しているにちがいありません。

2001年4月、ICANOF第一回企画展のプレイヴェント「写真家港千尋講演会」は、のちにICANOF八戸芸術大学と銘打たれるその火打石となりました。八戸イタコの民間シャーマニズムの話題に始まり、ハノイや台北の「伝神絵=エピファニー・ドローイング」で締めくくられました。慌ただしく前線に駆り出されていった若い戦没兵には、まともな遺影など一枚も遺族には残されていない。遺品の認識票に貼り付けられた極小の、しかも変色・腐蝕・破損の絶えない出征時の肖像以外には。その写真だけを頼りにルーペで拡大模写しつつ、故人そっくりの手描きの遺影をつくるのが伝神絵師です。その一本一本の線描には、死者の往き暮れた魂の繊維が、生前の一挙手一投足のたびに発火してきた神経叢が、まさに神業のごとく復元されています。それを単に民間シャーマニズムの残滓と看做すことはできません。「伝神=デンシン」とは、字義どおり「シャシン」の隣人、少なくとも写真という「測深=ソクシン」の営みにほかならなかったからです。


八戸市美術館で開催される、私たちICANOF(イカノフ)第9企画展『Blinks of Blots and Blanks (略称BBB)展』。このタイトルを敢えて日本語表記すれば、〈シロとシミのシルメキ〉。シロはいまだ何も書かれていない空白、もしくは誰にも読まれたことのない余白の未来でしょうか。とすれば、シミはそこに焙りだされてくる太古の原記憶、もしくは遠い過去に抹消されてしまった瘢痕のイメージの反照。その両者が交互に明滅するシルメキ=徴候の現在。シルメキとは互いに生地を奪い合うような、互いに死地を取り崩すような〈バタイユ=交戦〉状態とでもいえるでしょうか。ICANOFの沿革とジオポリティクスについては拙稿『風のソシウス』註1に譲りたいが、おそらく昨年2008年の第8企画展『68-72*世界革命*展』のテーマを熾烈に継承した展示となるような気がします。

露口さんによる『ミズノチズ』から『地名』『On- 沙流川』へ、最新作の『オホーツク・シモキタ』へ。2009年8月「東川フォトフェスタ特別賞」受賞後、初の展示、しかも優に300点はこえる初の大規模展示。そして『「雪の島」あるいは「エミリーの幽霊」』の芸術選奨文部大臣賞につづき『表-紙 omote-gami 』で毎日芸術賞を2009年受賞したばかりの、いまや世界的な詩人の一人、吉増剛造さんによる〈燃え上がる映画小屋〉註2ともいうべき映像集成『gozoCiné キセキ』註3からの一作「エッフェル塔(黄昏)」の常設上映。これが今回の『BBB展』の両輪であり、二歩とも二風ともいえる最強の二段速ギアでもあり、今後のICANOF展の急峻な分水嶺をはやくも告知してはいないでしょうか。


そういえば、うっかり忘れておりましたが、露口さんもお見えになった昨年末の月島でのモレキュラーシアター公演註4で震度を深めたダンスアーティスト、大久保一恵・田島千征によるダンス公演『BBB 1・2 』にも再会できるでしょう。札幌・八戸・青森だけでなく都内月島でも、トークゲスト鵜飼哲さん鴻英良さん、倉石さん二子さん八角聡仁さんをまじえて愉しく酌み交わしましたね。その映像批評・舞台芸術批評の八角さんのレクチュア『〈残像的身体〉をめぐって』も今回聴きのがすことはできません。なぜなら〈残像的身体〉とは、モレキュラー的身体性の主題、かつ吉増さんの映像における輝跡エフェクトのことであるのみならず、写真家の身体性の在り処をも含意しているのは明らかだからです。

昨年に引き続き、写真批評・美術批評の尖鋭倉石信乃さんは、須山悠里さんとの共作による映像作品『TSUKAI #2 』の常設上映に挑みます。倉石論考に魅了されてきた読者も、彼の映像作品と遭遇するには八戸のICANOF展に足を運ぶよりないでしょう。それに地元八戸の油彩造形家、伊藤二子さんによる険峻なまでに明晰な新作展示。土方巽をしてムッシュウ・オイカワと呼ばしめた、アルトー館主宰の及川廣信さんによる〈未踏の生態系〉ともいうべきダンスワークショップ。2001年ICANOF第一回展から欠かさず参画してきた京都生れの映像ディレクター、佐藤英和によるワークインプログレス『CAN OF ICANOF =イカノフの缶詰』上映もまた忘れるわけにはいきません。


露口さんの照相の写真に、いくえにも鏤(ちりば)められた写真の照層にどう向き合えばいいのか。さしあたりこの半年余、書き継いできた拙稿『二歩と二風のサーガ』を一読していただくことで、もう一度、助走をつけることとしたいと思います。というのも、写真が発明され、さまざまに流布・派生していった19世紀後半のモダニティに、北海道への関心のアクチュアリティを交錯させようとした拙稿は、露口さんとの交信から得た〈ミズノチズ〉なしに書き終えることができなかったからです。むろん書き終えたいま、さらに大きな疑問符の回流が眼前にのしかかってくる。露口さんの「メム=泉池」の写真のように、写真の「メム=湧水」のように次々に噴流してきてやまない。それほど北海道のフトコロは深く厳しく、往けども往けども地平の「フ・トコロ」に辿りつくことはないのでしょう。「フ・トコロ」の地平、その「非–場所」こそイカの腑の場所、負の符牒ならぬ符牒の譜であってほしいと願いつつ註5

2009年7月  豊島重之(ICANOFキュレーター・八戸)


註1:BankART 1929『アートイニシアティブ ~リレーする構造』(2009年刊)所収。
註2:吉増剛造『燃え上がる映画小屋』(青土社、2001年刊)所収の、豊島重之との対話「映像に口をつける」参照。同書の編集者津田新吾氏の訃報に接したばかりで、いまは言葉もなく狼狽え、ただ哀悼の一撃に佇ちすくんでいる。
註3:豊島重之稿「映画に脚が生えた」も収録された吉増剛造DVD+book『gozoCiné キセキ』(OSIRIS、2009年刊)は、本展会期中、八戸市美術館1F受付にて頒布されている。
註4:モレキュラー〈provisional〉サイト「http://sites.google.com/site/moleculartheatre/」。
註5:ICANOF webサイト「http://www.hi-net.ne.jp/icanof/」参照。



〈序文-2〉
豊島重之『二歩と二風のサーガ』への返信



ここに綴られた豊島さんの思考が、事象が複雑に交錯し、さらにさまざまな思考の交差する場であり、とても私の立ち入れる間合いなどないことを実感しつつ読み解いております。この多様な世界に対蹠する言葉を紡ぐ能力など持ち合わせていない私にとって、できることは自分の領域に引き寄せて断片的なことを述べる以外にありません。


三年前、音と写真というどう結びようもない二つのものを接近させたいと思ったきっかけは、加納沖のムックリの演奏を聴いた瞬間でした。札幌の美術館の講堂での演奏でしたが、そのオンは遥か遠くの幾つもの場所からの響きのようでした。
ONは沙流川という場所のそれぞれの固有のオンをさぐり、その場所のオンとその場所のシャシンとを接近させたいと思ったのです。「視覚を微かにでも離れる写真」などということが自家撞着であることなど承知の上で、夢と戯れたかったのだと思います。あえて繰り返しますがONは年甲斐もなく夢から始まっています。しかしまた、そうであっても現場では、写真は具体的で個別的な場所と出会うことになります。撮影者の微々たる思いなどと無関係に写真は、なにものかとの、なにごとかとの、遭遇を繰り返します。


――南の沖縄と同じくらい北の北海道は、国家の輪郭を台無しにする外ヶ浜の「ソト」、つまり絶えず外へ外へと先送りされる未踏の恐怖であるばかりか、帝国が帝国であることの強力な明証性の最たる異域にほかならなかった。――『二歩と二風のサーガ』より

まさに、いまだに北海道はそうであって、しかもそのことにあまりにも無自覚な場所なのです。ではどうすればよいかとの問いに対する答えとして私にできることは、そこに住むことのいらだちを携え、写真を撮ることしかないのです。ただ、そのことで「そこに住むことの、あるいは住む人の具体性、非抽象性」は痛いほど感じることができます。
写真には豊島さんのおっしゃる〈恩寵の一撃〉があり、それは田本研造の写真だけでなく、すべての写真に平等にあり得るのだと思います。それは写真家の才能などとは関係なく、すべての写真に潜在的にあり得ると思うのです。

それが写真の可能性であり、恐ろしさでもあると思います。私はその潜在的な可能性に、そして写真行為のなかで遭遇する「住む人の非・抽象性」にすがって辛うじて立っているのです。しかし、「住む人」に向けたカメラがつくり出す写真に〈人間の展示〉以外のなにができるのでしょうか。写真は残酷になけなしのその場の善意など無に帰してしまい、シヌィエの少女の瞳を、写真は間違いなく眼差しに変えます。それは私たちの抽象的な眼差しを粉砕するのです。


――「津軽」とは、東京で再発見された「辺土もの・最果てもの」にすぎず、この括弧を外すことが小島の急務だったからにほかなるまい。――『二歩と二風のサーガ』より

いまやオホーツクにもシモキタにも〈異種のカタストロフィ〉は待ち受けてはいず、すべての空間は都市という空間へと編入されているように見えます。日本列島のすべての空間で、満州で試みられたテーマパークは形を変え、静かになし崩しに誰にも知られることなく、できあがったのかもしれません。
都市のネットワークに隅々まで被われ分解され再編され、すべての根拠をなくしてしまったかに思える非・場所ともいうべき空間。その抽象化された空間にどのように「場所」を可視化するのか。それが「写真家」に自らの瞳をさらす昆布採りのアイヌ女子の視線を受け止めることと、また民族の言葉のオンを日本語化されたローマ字に移し、さらに日本語へと移す二重の行為を自らに課す知里幸恵のオンを受け止めることと、どう繋がるのか。


列島を被いつくしたかに振る舞う都市という空間に場所を見るための方法と、同時にそれだけではどうしても落ちこぼれてしまう何かを内在しているオホーツクとシモキタを撮るためにどうすべきか、実はいまだ模索のなかにいます。もしかしたら今回の八戸での「オホーツク/シモキタ」の展示は、未完成の写真を展示するという、なにか中途半端なことをしているのかもしれません。
しかし、考えてみると私の写真作業はつねに未完の状態での撮影と展示でした。展示作業そのものが模索の手段でもあった気がします。それは言葉とも密接な関係にあり、過程のなかから、なにがしかの言葉が絞り出される二重の生成過程であることへの希望であるのかもしれません。


 先日のメールでもすこし触れましたが、「オホーツク/シモキタ」は次回作に予定されている「イシカリへ(仮題)」の制作開始を待って、僅かずつ明確になっていくと予想しています。「イシカリへ(仮題)」は「ミズノチズ」の続編であり、「オホーツク/シモキタ」と対をなす写真になると思います。
しかも、イシカリハマにでれば、そこは「十三湊」「サハリン」へ繋がっているのです。それが今回、多層を極める道筋を指し示してくれた『二歩と二風のサーガ』にどれほどの答えになるか、まったく見当もつきませんが、それは、これからの写真行為の持続への、大きな励ましであり、道標であることは間違いありません。

しかしながら、第8章で述べられたオンへの論考を読み解くすべを持たない私にとって、オンをどのように思考すべきか途方に暮れます。オンは「オホーツク/シモキタ」のこれからの展開と「イシカリへ(仮題)」の実践のなかで思考するしかありません。

書き足りないことだらけですが、とりあえず今回はここまでにします。豊島さんの論考への返信にほど遠いことしか書くことができませんでした。さらに読み続けたいと思います。
2009年7月  露口啓二(写真家・札幌)