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保養者の光学 ニーチェとリゾート
Optical philosophy for Resortists/The lake “Silvaplauna” for Friedrich. W. Nietzsche

岡村民夫 OKAMURA, Tamio(Critic/Professor at Hosei University)





Sils=Maria House for F.W. Nietzsche





The lake Sils=Maria for F.W. Nietzsche





Crossroads for F.W. Nietzsche





The lake Sils=Maria for F.W. Nietzsche
© OKAMURA Tamio

 
 『春と修羅』について世に現れた最初の書評のなかで、辻潤は書いていた、「若し私がこの夏アルプスへでも出かけるなら私は『ツァラトウストラ』を忘れても『春と修羅』を携えることを必ず忘れないだらう」(「惰眠洞妄語」)。去年の夏、私は反対に、『春と修羅』を忘れ、『ツァラトゥストラ』や『この人を見よ』をカメラと共に携えて、アルプスへ出かけた。自分の書く物は旅行携帯向きだという著者の言を信じて。
 フリードリッヒ・ニーチェは、持病(今日では梅毒説が有力だが、多様な症状を呈し、当時は病名が特定できなかった)の悪化にともない、バーゼル大学を辞職した一八七九年以降、一八八〇年初めにトリノで昏倒・発狂するまでの約十年間、スイスや南欧で恒常的な旅行生活を送った。このことは、世に容れられぬ孤高な隠者の漂泊としてイメージされるのが普通だろうが、じっさいにその足跡を辿ってみると、感傷的な美化であることに気づかされる。サン・モリッツ、シルス=マリア、ルータ、ニース‥‥‥多くの滞在地が、その当時、新進の近代的温泉リゾートや海浜リゾートだった。しかも、それは本人による積極的選択である。旅自体が転地療法であるうえに、各々のリゾート地で、ニーチェは、飲泉、冷水浴、海水浴、日光浴、食事療法、長時間の散歩、登山等を熱心に試み、風土が自分の体質に適するかどうかを注意深く閲(けみ)しているのだから。また、リゾート生活と足並みをそろえて、彼の哲学は身体や大地や風や太陽を再発見し、キリスト教やドイツ哲学やワーグナーを生理的抑圧(誤った食物、暗雲に覆われた低地、足の弱化)として捉えなおし、旅行や歩行をそうした足枷からの逃走として価値づけるようになるのだから(「歩きながら得た思想のみが価値をもっている」『偶像のたそがれ』)。後期の彼は、思考を陽光のもとへ連れ出したという点で、まさにモネやゴッホやセザンヌの同時代人なのである。思想(身体の再評価、パースペクティヴィズム、永遠回帰、力への意志)、文学的描写(ツァラトゥストラの旅、高山や海岸)、文体(メタファー、ニュアンス、多様で軽快なテンポ)のどのレベルをとってみても、彼の後期の著作には、活動的な保養生活の刻印を読むことができよう。
 自己の病をとおし、思考を翻弄する<身体=外部>に眼をむけるようになるという事例は、けして少なくないだろう。ニーチェの独創性は、思考の受動性を肯定しつつ、それを繊細に探査し、新しい<ライフスタイル=思考スタイル=文体>を周到に錬りあげていったところにある。彼のいう「病者の光学」「大いなる健康」「運命愛」とは、たぶんそうした能動的受動性を意味している。
 たしかに、理性を転覆させる根源的力の肯定は、すでに『悲劇の誕生』の段階で明言されていた。けれども、彼が古典文献学教授からリゾートのノマドへ転じて以降、その質は一変したといえる。<仮象=映像=光>(アポロン的なもの)と対置され、闇の側に振り分けられていた混沌とした力(ディオニュソス的なもの)が、明るい陽光と新たに結びなおされる一方、静的だった映像は、流れ、飛翔、震動、微粒子の舞踏へと脱領土化する。映像は、力そのものではないが、可塑性に富んだ見えない力とつねに不可分な、仮面、演技、皮膚、種々の質をそなえた力のパースペクティヴとして再評価される(病気で「探知機過」のように過敏となったニーチェの身体にとって、風景とは、脳や臓腑へ浸透してくる毒や薬のごときものだったろう)。だから新たな問題は、仮面を脱ぐことではなく、むしろしなやかで軽く多種多様な仮面を発明し、諸力を創造的なシステムに組織しなおすことなのだ。
 一八八一年八月初旬のシルヴァプラーナ湖畔散策途上における「ツァラトゥストラ」という仮面の啓示は、ニーチェ自身によって巧みに準備された偶然だったというべきだろう。散策中のメモをもとに書くという執筆スタイルをすでに開発していた哲学者は、その日、シルヴァプラーナ湖畔を左回りに一周するつもりで、午前十一時前にシルス=マリアの下宿の洞窟めいた部屋をあとにしたはずだ。そして一時間少々、樅の森の山道をへて水辺にぬけると、彼は快い疲れと不思議な昂まりを覚え、岸辺に孤立して立つピラミッド型の岩のかたえの砂利浜に腰を降ろし、振り返るように碧い湖面に眼を遊ばせる。のちにセガンティーニやホドラーなどの画家や、プルーストを魅了することになる、明澄な光と空気。ジャコメッティの造形感覚を養うことになる、氷河を頂いた峻厳なアルプスの山々。正午の太陽(光の深淵、至高の眼)。眼前の水面はこれらを二重化し、光と影の果てしない震動へ還元している。そこには彼の辿ってきた過去も、これから辿る未来も映っている‥‥‥
     シルス=マリア
  ここに坐り、われ待ちに待つ、──何を待つとなく、
  善悪の彼岸に、ときに光を
  ときに影を 楽しみ──ただ戯れのみ、
  ただ湖、ただ正午、ただ目的なき時。

  そのとき、突如、女友達(とも)よ! 一は二となりき──
  ──と ツァラトゥストラ わがかたえを通り過ぎぬ──
(『悦ばしき知識』)
 散歩者の残像が、止った散歩者自身を追い超すようにして、ツァラトゥストラは到来したのではないだろうか。


(図録"ICANOF Media Art Show 2001"より転載)



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