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はちのへ人物ファイル
ver 2.01
2000.08.29版 by lime
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秋山皐二郎(あきやまこうじろう)1910-八戸出身元八戸市長。赤字の八戸魚市場を再建。流通の近代化に努める。
後村功(あとむらいさお)1936-建具製造において障子や欄干の組み細工に優れ、繊細で緻密な仕事で知られる。
阿部豊作(あべとよさく)1836-1894八戸出身。鮫築港運動の推進母体となった八戸共商会の設立メンバー。海産物の製品改良にも尽力した。
安藤昌益(あんどうしょうえき)延享元年(1744)と二年に八戸に住む。八戸の十三日町で町医者を開業する傍ら、膨大な書物を著し、封建制度を厳しく批評した。
石田収蔵(いしだしゅうぞう)1879-1940八戸出身。樺太アイヌの研究をし、のちに東京農大教授を務める。
石橋蔵五郎(いしばしぞうごろう)1875-1964八戸出身。学校体育・音楽の先駆者として、体育と音楽を結び付けた「律動遊戯」を創造し教育界に新局面を開く。
石橋玉僊(いしばしぎょくせん)1883-1945廿三日町生まれ。九代目石橋源三郎。茶・華道の師匠、日本画の大家である。孫は石橋スポーツの石橋博氏。
石橋徳右衛門(いしばしとくえもん)八戸の名家、西町屋の分家、西甚、西安、西方、なかでもつよかった西源の四代目で二十八日町に居住。
石橋万治(いしばしまんじ)1850-1909廿三日町の穀物商の家に生まれ、薪炭、肥料、食品、石油なども扱い、八日町に支店を構える。
泉山斐次郎(いずみやまあやじろう)1888-1982八戸吹上生まれ。義兄の岩次郎とともに遺跡の発掘、保存に尽力した。
泉山岩次郎(いずみやまいわじろう)1876-1963八戸新井田生まれ。是川の自邸内で発見した遺跡の発掘、保存に尽力した。泉山銀行、八戸銀行の取締役、磐城セメント会社などの重役を務める。
泉山吉平(いずみやまきちべい)1843-1896八戸最大の財閥。天明4年、十三日町に店を構え、木綿、古着の商売を始める。セメント工場を設立した。(現八戸セメント)
泉山貞義(いずみやまさだよし)1917-1945本徒士町生まれ。昭和14年長野県での全日本スピード選手権一万メートルにて日本一をとる。
泉山信一(いずみやましんいち)1917-1985南部町出身。三八五グループを築いた運送業の先駆者。
市川笑也(いちかわえみや)1959泉山太男。昭和56年(1981)市川猿之助に入門。61年2月、新橋演舞場「ヤマトタケル」でみやず姫に抜擢され脚光を浴びた。スーパー歌舞伎。
伊藤吉太郎(いとうきちたろう)1851-1932八戸市田面木生まれ。1885年書籍を中心に呉服以外は何でも扱う伊吉商店を開いた。30人を超える孫の一人が現伊吉書院を継承。
稲葉万蔵(いなばまんぞう)1867-1933八戸出身。保嬰学校、夜間学校、商業補修学校を設立した。
稲葉捨己(いなばすてき)1904-1994八戸出身。万蔵の五男。1966年八戸市教育長に就任。八戸市民大学講座を開設。公民館建設や総合運動公園の整備拡充などに力を尽くす。
今淵正太郎(いまぶちしょうたろう)1888-1961鳥屋部町生まれ。郷土のため古美術品を収集。今淵コレクションとして市博物館にも展示されている。
岩泉正憲(いわいずみまさのり)1841-1909八戸出身。洋学校「開文舎」を設立するなど、八戸に進歩的西洋思想を広めた。
岩岡徳兵衛(いわおかとくべい)1900-1965六日町生まれ。3期12年市長を務める。
岩崎恒哉(いわさきつねや)1880-1944静岡県出身。八戸通運を創設。八戸商工会議所の初代会頭。
上杉修(うえすぎおさむ)1897-1979八戸番町生まれ。1922年T型フォードで貸し切り自動車業を始めた。県内のタクシー免許の第一号。安藤昌益の資料の発見と郷土資料の保存に尽力する。
植村彦太郎(うえむらひこたろう)1867-1928八戸出身。包装の改良と製品検査で南部木炭の名を高め、南部木炭のパイオニアといわれる。
浦山太吉(うらやまたきち)1853-1914八戸出身。八戸近代港湾開発の父と呼ばれる。また、東北本線開通の際、八戸を通過するように主張した一人。
浦山助太郎(うらやますけたろう)1865-1966富山出身。浦山太吉の二女とくと結婚、養子となる。金融恐慌で休業した八戸銀行の頭取になり和議法により難航していた整理を迅速に進めた。八戸市市立図書館書庫を建設して寄贈。八戸名誉市民第一号。
上野翁桃(うわのおうとう)1900-1982十六日生まれ。民謡歌手、民謡研究家。師・後藤桃水に「八戸小唄」の作曲を頼み、翁桃がレコードに吹き込み、全国的なヒットとなる。
大沢多門(おおさわたもん)1834-1906八戸糠塚生まれ。えんぶりの復活、三社大祭の振興など八戸の観光産業の礎を築いた。
太田広城(おおたひろき)1838-1911階上町出身。1871年の八戸県大参事。五県(弘前、黒石、斗南、七戸、八戸)の合併を政府に建議、今の青森県の枠組みをつくった。



神田重雄(かんだしげお)1874-1947八戸出身。海産物商長谷川藤次郎の帳場、湊前浜漁協理事、消防組頭などを務め県会議員になる。二代目八戸市市長になり三期連続務めた。八戸港建設の立役者。
北村益(きたむらます)1868-1951八戸長横町生まれ。明治40年八戸町長、藩政以来の宿願の鮫港修築期成同盟会を組織し、久八鉄道の完通ともども、その成就に政治生命をかけた。党派や個々地域に分かれているのが八戸が発展しない理由であると「八戸論」「大八戸進展論」を唱えた。
亀徳しづ(きとくしづ)1878-1966和歌山出身。八戸助産婦界の草分け的存在。「八戸産婆会」を設立。
木村義男(きむらよしお)1918-八戸出身。父の代から二代にわたりえぼし製作に努めている。
木村勘蔵(きむらかんぞう)1890-1970福地村出身。南部手踊りの名人で八戸のえんぶりに踊りの指導をした。
グラシェラ・スサーナ(GRACIELA SUSANA)アルゼンチンのブエノスアイレスの音楽一家に生まれる。「はちのへによする歌」(仮称)を2000年に出す。
駒井庄三郎(こまいしょうざぶろう)1884-1957滋賀県出身。八戸酒類の社長として酒造業界の協調、発展に努める。終戦直後、八戸市民のため食糧確保に奔走した。
近藤喜衛(こんどうひろえ)1871-1961八戸出身。初代八戸市長。八戸で土曜会と勢力を二分した政友会系の公民会(後の奥南派)の中心人物。



正部家種康(しょうぶけたねやす)1925-八戸出身。えんぶりの唄を作詞し、えんぶりの研究にも力を注ぐ。
菅江真澄(すがえますみ)1754-1829愛知出身。江戸時代のえんぶりの様子を「ひなの一ふし」などの中で詳細に記述。貴重な資料となっている。
鈴木吉十郎(すずききちじゅうろう)1836-1916八戸出身。東北本線開通の際、八戸を通過するように主張した一人。
関下鉄蔵(せきしたてつぞう)1932-建具製造において「チリ返し上げ下げ障子」の製作を改善、生産性を向上させて業界の発展に寄与した。




高橋織蔵(たかはしおりぞう)1905-1984八戸出身。水産加工業を営む傍ら八戸市の蕪島を管理。ウミネコの保護に努めた。
高橋長次郎(たかはしちょうじろう)1923-八戸出身。「はちのへ漁協」の初代組合長。八戸漁連会長。
高橋保次郎(たかはしやすじろう)1890-1980八戸出身。八戸鍛冶町信用組合の創立に参加。八戸信用金庫に改組後も理事長や会長を務めた。
種市良一(たねいちりょういち)1868-1937二戸市出身。八戸で1891年に一松堂医院を父良哲から継ぐ。八戸の近代医療の草分け的存在。
田村義三郎(たむらぎざぶろう)1902-1982十一日町生まれ。八戸鉄工所を設立。「八戸のエジソン」と言われ、日本初のタンク付消防車を開発した。
千葉くら(ちばくら)1876-1935長横町生まれ。千葉学園の礎を築く。
遠山景三(とおやまかげぞう)1852-1922八戸出身。八戸地方でかつてない規模といわれた漁港修築期成同盟会発足の発起人。八戸町長、県議会長も務める。八戸で土曜会と勢力を二分した政友会系の公民会(後の奥南派)の中心人物。
栃内吉忠(とちないよしだだ)1825-1893二ッ家生まれ。長者山奥の板橋山を開墾し、蒼前平を開いた。私塾を開いて、明義会(後の八戸青年会)を組織した。



中島石蔵(なかじまいしぞう)1897-1976六日町生まれ。夏堀源三郎を支え、魚市場流通面の確立に尽力する。八戸漁港の大きな支柱となる。
永嶋暢子(ながしまようこ)1897-1946名川町出身。「女人芸術」など昭和前期の社会運動、芸術活動で活躍。婦人解放運動に尽力。
中村松太郎(なかむらまつたろう)1892-1987宮大工、日本の名工百人の一人。大館村(現八戸市新井田)出身。明治神宮、靖国神社、海安寺などの寺社建立に携わり、幼いときに自宅の失火で焼けてしまった対泉院(八戸市)の再建に心血を注いだ。中村の半生は八戸市民によってオペラ化された。
奈須川満宝(なすがわみつとも)1855-1926八戸出身。八戸地方でかつてない規模といわれた漁港修築期成同盟会発足の発起人。
夏堀源三郎(なつぼりげんざぶろう)1887-1962福地村出身。八戸水産界の基盤を作った。館鼻公園に「水産都市八戸」を築いたとして、神田重雄とともに銅像になっている。
西村喜助(にしむらきすけ)1867-1942八戸出身。木綿の地織りを手がける一方、東北随一の大きな劇場「錦座」(もとの二十八日町にあった東宝劇場)を創立。
西山正治(にしやましょうじ)1922-1993八戸出身1962年八戸市に開業。胃ガン集団検診車やジャイロスコープを開発。八戸における早期胃ガン検診技術の育ての親。



橋本雪蕉(はしもとせっしょう)1802-1877岩手出身。写生旅行で八戸に立ち寄り、糠塚の大慈寺にわらじをぬぐ。そこで描いた絵が河内屋三代目橋本八右衛門の目に留まり、橋本家の養子となる。
橋本忠吉(はしもとちゅうきち)1911-1977十三日町生まれ。「橋文」七代目。五代目文蔵が下駄屋をはじめてから忠吉で当時ハイカラな靴へ。商店街づくりでのいろいろなアイディア・イベントを打ち出した。
橋本八右衛門(はしもとはちえもん)六代目昭訓(てるみち)1881-1932八日町生まれ。家業の酒造業を営む傍ら、八戸水力電気株式会社を設立し八戸地域に電灯を灯した。全国で三番目にバスの定期路線(八戸-鮫間)を開設。
長谷川藤次郎(はせがわとうじろう)1855-1933三重出身。明治19年に鮫村で海産肥料・雑穀商を開業。漁獲を増やすため1990年三重県から導入した麻製の揚繰網を使い操業開始。現在の巻き網漁業の基礎を確立した。陸奥湊の駅から鮫方面に徒歩5分くらいの右手に銅像がある。
羽仁もと子(はにもとこ)1873-1957長横町生まれ。主婦の立場で雑誌を創刊。家庭生活改善に大きな役割をする。
原たま(はらたま)1874-1938大工町生まれ。明治期社会主義のリーダー片山潜と結婚し、陰で支えた。
原信子(はらのぶこ)1893-1979大工町生まれ。大正〜昭和にかけて活躍した国際的オペラ歌手。
張山沢初太(はりやまざわはつた)1850-1878八戸出身。売市えんぶり組で舞の名手といわれた。
日暮里子(ひぐれさとこ)廿三日町出身の昭和前期の女優。
藤井達也(ふじいたつや)1888-1934八戸出身。1928年に衆議院議員に当選、三期。鮫漁港修築、凶作の救済運動に活躍。
藤井貞蔵(ふじいていぞう)1898-1914八戸切っての老舗、三春屋に生まれ、48歳で独立し、三元商店を開いた。
蛇口伴蔵(へびぐちばんぞう)1810-1866軽米出身。八戸の新井田川から水を引き、板橋・類家を開発。
戸来努(へらいつとむ)1917-八戸出身。えんぶりの再興のため、八戸えんぶり振興協議会の発足に奔走する。
法師浜桜白(ほしはまおうはく)1900-1979朔日町生まれ。「八戸小唄」の作詞者。はちのへ俳諧倶楽部会長。



前田利見(まえだとしみ)1846-1935「桜門会」を設立して、八戸地方の俳諧をひっぱっていった。
前原寅吉(まえはらとらきち)1872-1950八戸番町生まれ。八戸の番長で時計店を営む傍ら、天体の観測や研究にいそしむ。1910年「日本で最初にハレー彗星を観測したアマチュアカメラマン(学会では認定されず)」といわれた。
巻石蔵(まきいしぞう)1924-1989八戸出身。八戸のシンボル「夢の大橋」など、秋山皐二郎市長とのコンビで多くの建設に携わる。
蒔田長蔵(まきたちょうぞう)1825-1901八戸出身。東北本線開通の際、八戸を通過するように主張した一人。
松原仁八郎(まつばらにはちろう)1895-1970八戸出身。えんぶりの笛吹が少なかった頃、各組へ参加するとともに後継者育成に努めた。
三浦哲朗(みうらてつろう)青森県人初の芥川賞受賞の小説家。八戸市三日町13番地(現伊吉書院)の生まれ。デビュー作や、代表作である「白夜を旅する人」など三日町についてふれている作品が数多くある。
三浦満吉(みうらまんきち)1894-1966八戸出身。二代目。八戸で最初の百貨店・三萬呉服店を設立した。
三浦紘一(みうらこういち)1939-八戸出身。三浦満吉の孫。三萬呉服店をスーパーに転身、ユニバースを設立。
湊要之助(みなとようのすけ)1866-1904堀端町生まれ。八戸青年会を組織。
村井松三郎(むらいまつざぶろう)1891-1973百石町出身。銘酒・桃川を育てた。
目時千太郎(めときせんたろう)1892-1964八戸出身。大正15年に貸し切り貨物自動車業を始めた。現目時モーター。



山浦武雄(やまうらたけお)1883-1942八戸出身。県会議員二期、小中野町長、八戸市会議員四期、県会議員二期。
山本勝次郎(やまもとかつじろう)1854-1930上組町の製粉屋から、十八日町に移り、穀物商を営む。八戸で初めてメリケン粉を移入。